育った環境は十人十色で、大変な思いをしながら生きてきた、そして生きている人がたくさんいると思う。
まっただ中にいる時は、なんとなく、父のせいにして生きてきた気がする。
そしてそれは、自分の感情をコントロールするのに必要な思いであったと思う。
誰かのせいにしていれば、自分を正当化することができる。
でもそれは子供のうちだけの特権なのだ。
自立したら全て自己責任。
自分で決めて自分でやっていることだということに気づかなければいけない。
自立していたら、もう全部自分が選んでいることなんだよ。
誰かのせいにして生きていることは、全部自分のせいなのだ。
そして自立はできていない証拠でもある。
私はそれに気づくのにだいぶ時間がかかった。
自分で選べるということはすごいことだ。
離婚した時は旦那のせい家のせいと自分を正当化しようとしたが、今思えばただ自分が逃げたかっただけなのだと。
それによって、たくさんの人に迷惑と心配をかけた。
続けることはできなかったから、どんな状況であれ離婚していたとは思うが、自分で選んだことを人のせいにしたことは後悔している。
離婚てそういうものかもしれないし、これは綺麗ごとなのかもしれない。
しかし当時は確かに、自分のことを棚に上げてなにやら細かいことを思い出してあんなこともあったこんなこともあったって思い返しては、ずっとモヤモヤした気持ちを引きずっていた。
そのモヤモヤした気持ちがなくなったのは、私にも非があったと認めることができてからだ。
自分以外の人への負の感情は、ただ自分を落とすものであるということを知った。
自分はそんなに偉かったのか。
自分は完璧だったのか。
自分だって人に負の感情をどれほど持たせてきたのか。
人間だもの。
感情がある限り、それはなくならないのかもしれない。
でも気づけたからこそ、自分が自由であることや大切な人に恵まれていることに感謝することを怠ってはいけないと思った。
大切な人や大切な物事に気持ちを向ける。
あの時、私がそれに気づいていたら、きっと今は母と一緒にいたのだろうと思う。
でも気づけなかったから、今は大切な子どもと一緒にいる。
そして母はそれを喜んでくれている。
それを決して無駄にしない生き方をしていきたいと今は心から思う。