日本腸心セラピー協会認定
腸心セラピたスト養成本部講師の
津波古 知子
(つはこともこ)です
腸心セラピーに
出会うまで
セラピーや
カウンセリングを
全く必要と感じたことが
なかった
そんな私が
60分の腸心セラピーで
定食屋のおばちゃんから
腸心セラピストに‼️
そんな私の
61年間を綴っています
お付き合いいただけたら嬉しいです❣️
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前回は
No.45 留年決定彼に続いて私も卒業ができない‼️
でした
ある時から
大学に行かなくなり
当然留年決定
続けて通う気になれず
大学を辞めると決めて
でも母にどうやって説明しよう
と色々考えながら
母のことだから
決して
怒ることはないだろう
でもきっと、
留年しても通って
ちゃんと卒業した方がいいよって
いうだろうと
思ってて
それでも行く気がないと
ちゃんと言うぞって
決めて
電話をしたんですよね
そしたら
母の反応が私の想定外のものでした
怒らないは
当たっていたのですが
私が大学辞めたいって言った
後の
第一声が
『わかった』
だったんです
まず私の言葉を否定せず
受け止めてくれた
あれって
拍子抜けしてたら
次の言葉が
『知子がそうしたいなら
いいけど
もう一度,考えてみて』と・・・
否定されてないので
辞めたいを
受け止めてくれたので
なんか
辞めるって決めたんだって
言い張れず
『わかった』
と言って電話を切りました
なんか拍子抜けしながら
母の『もう一度考えてみて』が
妙に心に残って
考えてはじめたら
いろんなことが浮かんできて
私が沖縄以外の大学へ行くために
色々調べてくれた母
沖縄にない学部を探してくれた母
美術系の大学へ行くために
デッサンの先生を探してくれた母
4年間の仕送り
2回の引越しで
余分なお金も使ってしまった
これで卒業しない
は
あまりに申し訳ないかなぁと
思い始めました
母が策略をしてそう言う方向へ
向けたわけではなく
しっかり考えて
決めて欲しいと
思ったのだとは
思います
もう一度考えてみても
やっぱり辞めたいって
言ってたら
どうなったかは
わかりませんが
その時の私は
やっぱり卒業はした方がいいよなって
気持ちがかわってきました
で
また母に電話をして
『もう一年大学へ行かせてください』
と
お願いしました
そんな返事をして
母がホッとしたのに
なんとなんと‼️
留年より
母の言葉より
もっともっと想定外のことが
起こってしまいます・・・
次回は
私の人生の大きな大きな転機が・・・を
をお伝えします
最後まで読んでいただき
ありがとうございます