先日、軽井沢でプロアマがありましたウインク

前夜祭の後、私達に用意してもらったのは

ロッジ♡

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 合宿みたいで楽しかったです♡

久保啓ちゃんの部屋に、遊びに行って一緒に寝ましたちゅー

こーゆぅ、合同部屋の時って、夜はもちろん楽しいんですけど
朝の準備する時間が私は好きウインク


お化粧してるのを見るのも楽しいし、それぞれいろーんなペースで準備する空気が好きですデレデレ

高校の寮も、そんな感じだったなぁドキドキ


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久しぶりに大塚有里子さんにも会えたっドキドキドキドキドキドキ

久しぶりだったから嬉しすぎて、顔を見てニヤニヤするだけで、ちゃんと話しできませんでした。笑



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横浜カントリーで、キャディさん達と夕方ラウンドしたり⛳️


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後輩ちゃんとラウンドして、先輩ヅラしたりニヒヒ

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次の試合に向けて、QT通過にむけて準備中ですニヒヒ


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スポーツ報知の記事は読んでいただけましたか?

構成をしてくださった高橋さんは、初めてキャディをしたエリエールの時からのお付き合いです。

私がキャディじゃなくても、1人のプロゴルファーになっても、ずーっと変わらず居てくださる1人です。

藍ちゃんのこと書くなら、ちゃんと書いて欲しかったし、高橋さんなら信頼できると思ってお受けさせていただきました。

ながーーーーい文章を、何度も何度も書き直してもらって短くまとめていただきました。

ワガママに最後まで付き合っていただいて感謝してます。


では、私のことを応援していつもブログを見てくださってる皆さんに


あの記事の原文をここで。









『私たちの出会いは中学生の時。
四国からは1人という狭き門をやっとくぐって初めて出た夏の全国大会でした。そこには「あの先輩に勝つ」事だけ考えていた私には想像つかなかった素晴らしい選手ばかりがいました。「みんな、18ホールと戦う同士。みんなで頑張ろう。」そういう中にいた1人が藍ちゃんでした。私達は出会った時から馬が合って、仲良くなりました。
2年後お互い高校生になって再会した時も変わりませんでした。相変わらず四国からの1人で試合に来ていた私に「東北高校のバスに乗って移動すればいいじゃん。先生に言ってみるよ。」となんの躊躇もなくバスに乗せてくれました。今考えると藍ちゃんだけではなく東北高校の先生も、他の部員も本当に心が広く理解があると感心します。私が先に大学生になり、彼女は高校3年生でプロになりました。その時も忙しそうだったけど会うと何も変わらない、私の知っている藍ちゃんでした。神奈川の大学に行っていた私は試合の合間に東京のホテルに泊まる度、彼女に週末会いに行きました。私は大学生、藍ちゃんはプロゴルファー。だけどゴルフの話は一切せずに、好きなお笑いの話、恋話、お買い物、普通の女の子で居られる時間だったと思います。
時々テレビの収録やCM撮影にも連れて行ってくれました。19歳の小さな女の子の周りには、たくさんのいろんな大人達が居て、私に対してもどう扱えばいいのか困っている大人達ばかりでした。いい社会勉強をさせてもらいました。笑。いつも、大人達が求める宮里藍を完璧主義の彼女は全力で応えていました。その姿を見るとなおさら、せめて私の前では普通の女の子で居て欲しいと思いました。
藍ちゃんがプロゴルファーとしてどんな成績を出しても、私の前に現れる藍ちゃんは中学生の時と何も変わりませんでした。買い物に行っても気にいるものは同じもので、だけど選ぶ色が違うからお揃いの物をたくさん買いました。
いつもいつも一緒に居るようになって、キャディやってみたいから空いてる時やらせて。と軽い気持ちで言っていました。いいよ。と言われて頼まれた試合はエリエールとリコー。私は2週間も一緒に居られるんだ。と旅行気分でした。
でも試合会場に行くと、ただの大学生キャディの私にも毎日話を聞いてくる記者がたくさん居ました。なんでキャディする事になったのか。このコースのことは詳しいのか。どの質問も「仲が良いから。」しか応えられませんでした。その違和感の理由が分かったのはエリエールで優勝してから。当時、藍ちゃんは不動さんと賞金女王争いをしていたんです。そんな大事な二試合だとは知らず、旅行気分でキャディをやっていた私は、2人で鼻歌を歌いながら歩いて、好きなお笑い芸人のギャグを言い合い、歩測の間違いをケタケタ笑い合っていました。大事な二試合だからこそ、自然体で居たかったのかもしれません。
またその当時「藍ちゃんフィーバー」真っ盛り。ゴルフを知らないギャラリーもたくさん居て、携帯カメラでそこかしこでシャッター音が聞こえていました。私の方がイライラしてしまって何度も注意していたら「倫子、もういいよ。プレーに集中しよう。」と藍ちゃんに言われました。それでも怒りの収まらない私は「ケイタイヤメテクダサーイ」と外人風に注意すると、藍ちゃんはビックリして、大笑いしてくれました。そんな私を連れて優勝、翌週は2位ですから、彼女の実力が本当にすごかったか分かりますよね。
その後、藍ちゃんはアメリカへ拠点を移しても私達は何も変わりませんでした。毎日の様に連絡を取り、あの服が可愛い、この髪型にしたい。普通の女子トーク。アメリカにも何度か遊びに行きました。一度だけ「アメリカに来て欲しい」と言われてチケットを用意してくれたことがありました。いつも通り、ゴルフしたり買い物したり、ご飯を作ったり、一緒に髪を切りに行ったり。最後の日の夜、寝る前にゆっくりしてた時、私を日本から呼んだ理由が分かりました。「ゴルフを辞めるかもしれない。」最初のドライバーイップスの時でした。おそらく、宮里藍ファンや周りの記者の人達なら知っていたと思いますが例のごとく、藍ちゃんがドライバーイップスにかかっているなんて知らなかった私。だけど、私は彼女が必要以上に周りの求める宮里藍を全力で応えている事は知っていました。でも、彼女に私は「辞めていいよ。」と言いました。その小さな体でそこまで頑張りすぎる必要は無いし、それまで弱音を一切言わなかった彼女に、頑張って続けろ。なんて言えませんでした。それに、ゴルフが彼女の魅力の全てでは無い事は私が一番感じていました。
そこから10年、ドライバーイップスだけでなく、幾度も彼女しか超えることのできない山を越えて来たのを見てきました。だから昨年のオフに引退を決めたと告げられた時、寂しさと同時にホッとしました。彼女がどれだけの人格者であるかは、皆さんご存知の通りです。いや、それ以上です。だけど、中学の時と何も変わらない1人の女の子でもあります。これからの彼女の人生が素晴らしいものになる事は間違いないし、それをまた近くで見られると思うとワクワクします。また新しい思い出をたくさん作っていこうと思います。』







ウインク


藍ちゃんとの1番の思い出を教えて欲しいと、言われたのですが、選べないし、とてもとても新聞の記事には収まり切りませんでした。
なので私達のあらすじを簡単に書いたつもりでも、この長さでした。
いろーんな人が藍ちゃんの引退についてコメントしていて、私が何かコメントするなんておこがましいなと思っていたので、こんな風に書いてもらえてよかったです。

世界中から、愛をたくさんもらって引退した藍ちゃんを本当に誇りに思うし、こんなにも、たくさん藍ちゃんの愛を感じてくれた人がいたのだなと思うと本当に嬉しいです。

こんなに素敵な友達は、神様からの贈り物だなと思います。


ありがとう!神様!!



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らぶゆ♡