しばらく更新が滞っておりましたが、先々週の月曜日にアトランタに戻ってまいりました。


父を亡くしてどんなに気落ちしている事だろうと心配して下さっている方もいらっしゃるかもしれませんが、安心して下さい、かなり普通です。申し訳ないほどにあせる



いやーーーーー、身内が一人死ぬってこんなにいろいろと大変だったんですね!!!

というのがいちばんの感想でした。


いろいろ思いを馳せたり悲しみに浸る暇など全くないまま、あっという間に日本での2週間が過ぎてしまいました。


その様子をこと細かくレポートしたいなと思っていたのですが、ちょっと時間が経過しすぎてテンションが落ちてしまったので(^ ^; だいぶ端折りますが、すごく実感したことは


自分もいつ死ぬかわからないから、常日頃から死んだ時に諸々どうして欲しいかを近しい人にある程度伝えておく必要があるな


ということでした。


思わず日本にいる間に兄の家のPCをちょっとお借りしてAmazonでこんなものを買ってしまいました。

コクヨ エンディングノート もしもの時に役立つノート B5 LES-E101/コクヨ

自分用以外にも母用と夫用にも購入し、それぞれに渡しました。(笑)


いや、本当にいろいろ定まってないとマジで困るんですよ。残された人が。


もう、今回もまず遺影として使う写真を探す段階から一家で大騒ぎですよ。

写真関係で言うと、遺影用以外にも葬儀場での展示用に使う写真5枚とスライドショーに使う写真を15枚で計20枚の写真を用意しておいてくれと葬儀会社から言われ、「今どきはこんな結婚式でやったようなことを葬式でもやるんかい」とカルチャーショックを受けながら、みんなでアルバムを引っ掻きまわしながらやはり大騒ぎ。


ちなみに遺影用の写真は孫を抱きながら笑っている奇跡の1枚をやっとの思いで見つけることが出来ました。近年撮ったほとんどの写真がメガネかサングラスを掛けているものばかりだったので本当に苦労しました。。。

また、遺影で使う写真で故人が着ている服については、元の写真でカジュアルな服を着ていたとしても葬儀社のカタログの中からスーツや着物などかしこまった服を選んでデジタル処理で着せ替え可能だったことにも驚きました。しかしここでもスーツの色やネクタイの柄で悩まねばならないという。。。あせる


写真が決まったと思ったら今度は「スライドショーで使うBGMを1曲選んで下さい。故人が好きだった曲があればぜひ」とか言われて、これまた父の所持するCDラインナップの中から良さげな1曲を探すという予想外の作業をせねばなりませんでした。


あとは、香典返しと共に渡す喪主の挨拶状に家紋を載せないといけないらしく、我が家の家紋を教えてくれと言われて、それも大慌てで調べたり。


その他、とにかく通夜と葬儀に向けて決めなければいけないことがものすごく沢山あって、なんかやっぱり結婚式の時と似てるな~と思ったんですが、大きく違うのは結婚式では何ヶ月もかけてじっくり準備できたことを、ほんの2,3日の間に決めなければならなかったところです。



葬儀が終わってもまだまだ忙しさは止まりません。

保険関係の手続きや公共料金等の引き落としの口座の名義変更手続き、それに伴って必要となった書類(戸籍謄本とか)を役所までもらいに行かなきゃならなかったり。

母はとにかくいろんなところに電話をかけまくる日々が続いておりました。

来客も多く、その対応もしないといけないし、そういった合間を縫って日用品の買い出しに行ったりもしないといけないし。


すごく細かいところで言うと、

・父の財布の中身を確認すると出てきたカイロプラクティックの予約カード。3月25日に予約が入っていることに気づいて、そこに電話してキャンセル&亡くなった旨を連絡


・父の仕事用のカバンの中から(実は亡くなった日が完全退職の日でした。警察官だったのですが、60歳で一旦退職した後も8年間、名古屋市内の交番に勤務していました。翌日からいよいよ隠居生活が始まるというタイミングでした)市立図書館で借りた本が出てきたため、返却&他に借りている本がないかの確認


・電車通勤していましたが最寄りの駅までは自転車で行っていて、そこに自転車が預けっぱなしの状態になっていたため回収


…ということなんかもやらねばなりませんでした。(上記のものは全て兄がやってくれましたが)



加入していた保険や父の銀行口座などに関しても、母が完全に全てを把握出来ているわけではなかったので、「ちゃんと教えてもらってないからわからん!」と言いながら、保険の証書や通帳など家中を探し回らねばなりませんでした。


そんなこんなでやることが多過ぎて、我が家は悲しみに沈むどころか活気づいてさえいました。


そんな中、娘の存在には本当に癒され助けられました。

この子がいるのといなかったのとでは、いろいろ全然違っただろうなぁと思いました。

いきなり早朝に叩き起こされ、車に乗せられ、飛行機に乗せられ、そして日本に連れてこられ…そんな状況だったにも関わらず娘は天真爛漫みんなに愛想を振りまき、よく食べ良く眠り、その姿に我が家はかなり救われていたように思います。(行き帰りの飛行機ではかなり地獄でしたけどねガーン 結局ほとんど寝られなかった…)



諸々の手続き関係は立場上母しか出来ないので、母がそういったことをやっている間に私はというと家の大掃除に勤しんでおりました。

最初は父の遺品整理のつもりで始めた掃除だったのですが、父の所有物というのは思ったほどなくて、大半は「これゴミじゃん!!」という母と兄の物の始末に明け暮れる結果となりましたあせる

母も兄も典型的な「捨てられない」タイプの人間でして、それを今回私が容赦なく大々的に処分したので、母からは大層感謝されました。(笑) 



アトランタに戻った翌日から早速娘はデイケアに復帰させ(その方が時差ボケが早く治るかなというのもあり)、やっと戻って来た日常に安堵しているという感じでいます。


ただ、個人的にとても悔しかったのが、今年で見られるのが最後だったであろうアトランタの満開の桜を見逃したことと(辛うじて散り始めの桜は見られましたが)、これまた最後だったイースターのエッグハントのイベントに娘を参加させてあげられなかったこと!ダウン


とくにイースターは昨年のヘリコプタードロップ がすごく楽しかったので、今年もすごく楽しみにしていたし、デイケアでもエッグハントが予定されていたので、最後の思い出作りに気合が入っていただけに、参加し損ねてすごくガッカリしました。しょぼん


でもビックリしましたよ!どうやら日本ではハロウィンに引き続きイースターも流行の兆しがあるようですね。


帰国中、スーパーのチラシを見ていたら「今年のイースターは3月27日。タマゴ料理でパーティーしよう♪」みたいなキャッチコピーと共にタマゴを使った美味しそうな料理の写真が並んでいたり、ケーキ屋さんのチラシを見てもイースター仕様にデザインされたスイーツが販売されていたり。


本帰国して娘が幼稚園に入った頃には幼稚園でエッグハントが企画されるようになってたりするのかも…と思ったりしました。



最後に話が微妙に逸れましたが、とりあえず私は元気に過ごしています。

私と娘がアトランタに戻ったら、母は家に一人になるのでそれが少し心配ではありますが、すぐ近所に兄一家も住んでいるのが大きな救いです。

帰国したらなるべくまめに実家に顔を出そうと思います。