色んな意見や、出来事を越えて

Tokyo2020


終わりました





コロナ禍という大きな大きな困難が立ちはだかって


復興五輪は、あんまり表立って伝わって来なかったのが残念でならないけど



大きな事故や

平和な日本には少し縁遠いとも思われているけど本当は真剣に考えるべきテロ行為などもなく

平穏に終わったように見えて

イチ日本国民としては


良かったね☺️


な、オリバラでした。







オリンピックの開会式も、昨日のパラリンピックの閉会式も、桑山くんは、お仕事。






思い起こせば、オリンピックの開会式の時は、どんな感じに交通規制があるのか分からなくて、2人で、仕事の現場の下見を前日にしたりして、準備してたな、って。



それが、昨日は、パラリンピックの閉会式があるのに、もう慣れっこで、ナビに「イベント区域」の印が付いていたりしても、ドキドキしなくなりました。












オリンピックが東京に来ると決まってから


私は、個人的に、ワクワクしていた方でしたので、コロナ禍となってからの気持ちは、とても複雑でした。





でも昨日の閉会式をテレビで見ながら








心から参加されていた皆さんには

お疲れ様でした‼️


と伝えたいです。









想像もつかない努力や、ご苦労があったと思います



これから裏側の色んなエピソードも出てくるかもしれませんね






アスリートの皆さんはもとより

制作に携わった全ての方々

ボランティアの皆さん



本当にお疲れ様でした!





ありがとうございました









私は

閉会式を見ながら



Beautiful Name

💕💕💕💕💕

が流れた時に

うるるるっとなりました🥺










我が愛するゴダイゴの名曲が

こんな場面で使われるなんて!













ゴダイゴと言う存在なくして、今の私はないわけですから、なんだか、親戚が、パラリンピックに関わった!みたいな嬉しさでした😊






これは数年前のMPの同窓会の写真。

※右から、ら中村雅俊さん、私、タケカワユキヒデさん、寺泉憲さん。




中学生の頃

ゴダイゴのファンになり

ゴダイゴの作詞をしていた奈良橋陽子さん(写真向かって左手)の主宰する英語塾MLS(モデル・ランゲージ・スタジオ)

に、受験生なのに通い始めた私。


その塾に通えば奈良橋陽子さんが来るだろう、
そして、もしかすると、ゴダイゴのボーカルのタケカワユキヒデさんも、遊びに来るかも?しれない!という浅はかな思い込みで、通い始めたのです。


勿論、タケカワさんは、そんな英語塾に表れる訳もなく、奈良橋陽子さんも、クラスにいちいち顔を出したりしませんでした。
でも、クリスマス会の時に、奈良橋さんがいらして、勇気を出して、自分の書いた英語の詩集に、Keep on wrightg!と、サインを頂いたのが思い出です。



その後、MLSの先生から「あなたが進む玉川学園の英語劇部は、とても盛んだから、ここ(M L S)に通わなくても楽しいかも」と言われ、英語劇部員となり、「先輩の公演で勉強させてもらう」という名の公演のチケットのノルマ要員として、部員は先輩が出演する東京学生英語劇連盟(通称MP/Model Production)を観に行きました。
そこで配布されたチラシに「ミュージカル『OLIVER!』高校生募集!」と書いたMLSのオーディションの告知があり、私は受験。
審査員の奈良橋陽子さんとまた、再会します。

たまたま合格して高二の夏、主役、オリバー君になった私。

公演当日、ロビーで奈良橋陽子さんが母に「Toko has something!」とお世辞を言ったりしたもんで、私も母も、「あれ?私、ひょっとして😆?」なんて、ちょっと勘違いし始めたわけです。


高校生活、英語劇にどっぷり浸かって、高三でも、MLSの公演に出演。
その時に、音楽を担当してくださったタケカワユキヒデさんに、ついに会える💕
ことになりました。



大学受験で私は「劇団に入りたい。大学には行きたくない」と考えていました。


役者になるには、基礎を身につける事が大切だから、大学に行く必要などない。演劇を学びたい、と思っていました。


が、母は「奈良橋さんに相談したらどう?」と言うのです。
「とこは、何か持っている!」と言った事を忘れてなかったのでしょう。



奈良橋さんの自宅へ、のこのこと相談しに行き
「劇団に入ると、似たような考えの人ばかりの中に入る事になるから、視野を広げる為には、行けるのであれば大学に進んだらどう?」とアドバイスを貰い、そうか、学ぶ事がなくなったら辞めればいいのか!と、すんなり大学へ。


大学生になると、歴史ある東京学生英語劇連盟(MP)


に参加。


一年生で、陰コーラス。
二年生で、キャスト。
ここで初めて奈良橋陽子さんと、がっつり向き合うのです。
演出家としての奈良橋さんは、本当に厳しく、それは更に私の「役者になりたい気持ち」を確かめる時となりました。

三年生ではスタッフにまわり、広報担当。

四年生は‥
東宝ミュージカル『レ・ミゼラブル』にてデビュー。
素人でただ一人合格した私。

心配した奈良橋さんが、私をマネージメントしてくださることになりました。





そしてこれが、めっちゃ最近の私と奈良橋さん。







私が奈良橋さんに出会った時の奈良橋さんの年齢を、とっくに私は越えました。

なのに今でも、私は奈良橋さんに会うと、10代の頃に戻ってしまうし、奈良橋さんも、私を、何も出来なかった恥ずかしがり屋で、誰かの後ろに隠れていた私のように抱きしめてくれます。
(タケカワさんも同じで、今でもtokoちゃん、tokoちゃんと、親戚の子と話すみたいな感じなんです😆)




長くなった😅



とにかく!







奈良橋陽子さんの歌(歌詞)が、普遍的で、そして、こんな場面で流れた事を、心から誇りに感じた、という事を伝えたくて、長文になった次第です!



イチファンとして憧れていた存在から、一生の恩人になった奈良橋陽子さんの存在。




なかなか
言葉にすると難しいです。








因みにですが
当時、ゴダイゴの作曲家でありボーカリストのタケカワユキヒデさんは、まず、英語で書かれた奈良橋陽子さんの歌詞から作曲。
日本語の歌詞は、最後に出来上がったと聞いています。


奈良橋さんの子供たちに対する大きな愛が表現された、素晴らしい楽曲。






ほんと、嬉しかった。










今日は、どーんより曇り空だけど、私の心は、なんだか晴れやかなんです😆









陽子さん!
これからも宜しくお願いいたします!


そして
トコは、とっても嬉しい気持ちでいまーす!