橋田先生の作品は
「てにをは」を変えてはいけない、なんて言われていました。
変えてはいけない。
ではなく
変えられないんですよね。
アドリブ一切なかった、って言うのも
アドリブが必要なかったからです。
アドリブって、皆さんはどんなイメージでしょうか?
アドリブって「役者自らの発案で即興的に発する言葉」で「役者のアイデアがより良い作品を作り出す」そして「アドリブの使い手はすごい役者 」「アドリブを自由に出来る環境は、自由で良い空気の流れた現場」みたいなイメージでしょうか?
『渡る世間は鬼ばかり』の収録現場で、それが「許されない」現場、みたいなイメージだとしたら、違います。
『渡る世間は鬼ばかり』は、ドラマでは珍しく、必ずリハーサルがあり、舞台のお稽古のように、綿密に予め稽古をするのです。
長い台詞、長い場面を一回の本番で収録する為、技術スタッフさんと、打ち合わせを兼ねて、念入りにリハーサルを行って、スタジオ収録にのぞみます。
この過程は、今現在のテレビドラマでは大変稀有なルーティンです。
勿論、やるドラマや映画もあります。
でも、少ないです。
『渡る世間は鬼ばかり』は、シリーズ第一作目から、週に2日リハーサル、週に2日スタジオで撮影。というスタイルです。
たまにイレギュラーでロケに出かけたり、子役さんたちの都合で、収録日に変更があったり、という事もありましたが、殆ど、この4日間で1話、時間にして、コマーシャルを抜いた45分くらい?なのかな?(詳しい時間は分からないです)を収録します。
2日で😱
45分の内容を撮影?
多分、この業界に携わっている方には、このスケジュールのタイトさに驚くと思います。
付け加えると、TBSは局制作と言って、テレビ局が主たる制作権を持っているので、24時を越えた撮影はありません。確か、組合とかの決まりだと聞いたことがあります。
0時を過ぎると電源が落ちて、物理的に収録は出来ません。
つまり
私達はよく
26時撮影終了
みたいな表記をするのですが、23時台以降の数字のスケジュールは『渡る世間は鬼ばかり』にはありません。
23時59分には「お疲れ様でしたー!」です。
ごめんなさい。
ドラマの現場にいない皆さんには理解出来ないですよね。
深夜0時を跨いで撮影をしてはいけないチームなのです。
かといって
朝4時集合、という訳にはいきません。
私達、俳優よりも早くスタンバイをする為に集まる技術スタッフさんが電車でスタジオに入れる時間、大抵、6時半もしくは7時とか、それくらいからの仕事です。
そんな感じのスケジュールで2日で1話分を撮影するのが当たり前の『渡る世間は鬼ばかり』
カメラは5台以上同時に使って撮影します。
映画などは、あっても2台、それを繋ぎ合わせてひとつの場面を編集します、が!
『渡る世間は鬼ばかり』は、ひとつの場面は、通して撮影して完成。
舞台のようですね。
5分、10分のシーンはザラ。
コマーシャルからコマーシャルが、ひとつのシーンという時もあります。
台詞も、所作(動き)も細かいです。
座ったままのシーンより、料理を作ったり、並べたり、運んだり、食べたり‥
どの瞬間にお皿を持ち上げるのか?
どのタイミングで、誰の後ろを通過するのか?
どの台詞でお箸を口に運ぶのか?
色んな「きっかけ」も決められています。
いえ
決まっていきます。
ここがポイントです。
決められて
ではなく
決まってきて、それを撮影するのです。
はい。
そうなんです。
スタジオに組み上げられるセットに近いリハーサル室でのお稽古は、脚本を元に、俳優が自由演技、それを整理し演出するディレクターさん、そして、それらを円滑に撮影する為の知恵を出し合うスタッフさんで、細かく言えば、お皿を何枚洗う?どれくらいの大きさのお皿を何枚テーブルに並べる?どれくらいポットからお湯を出してお茶を注ぐ?等等、納得のいくまで行われ、スタジオでは、それを実際にセットで思った通りに行えるか?を確認、確認、確認、本番、となります。
アドリブが出来ない、のではなく、アドリブの入る隙のない状態で、スタジオ撮影が進行するのです。
つまり
リハーサルで、アイデアは出し合っていて、アドリブのような、ちょっとした台詞(誰かに相槌を打ったり、続けて台詞を足したり)や動きは、もう、このお稽古の段階で発案され、何度も稽古をして、完成される。リハーサルの時点で脚本に組み込まれて本番ではアドリブではなくなっているのです。
そして
そのアドリブのような台詞、というのは、殆どが「必要のないもの」である時が多いのが『渡る世間は鬼ばかり』なのです。
そう。
脚本は、既に完成された作品なのです。
橋田壽賀子先生の脚本と対峙する時に、何かアドリブを入れて、補足した気持ちになったら、それは、どこか「自分の演技に自信がない」から、だと私は思っています。
言い足りない。
言い過ぎてる。
これは全て、自己中心的な慢心だと気付かされるのです。
脚本にある一字一句は、主語、述語など、少しでも順番を変えると、辻褄が合わなくなる。
橋田先生の脚本の特徴。
言いにくい台詞を、リハーサル、本番前、勿論、家での自主練習も含めて、何度やっても、どうにも言いにくい、とします。
すると、演出部のスタッフさんが「言いやすいように変えてもいいですよ」となって、一緒に脚本を開いて、本番直前まで、どう変えたら?わかりやすい?言いやすい?と考えるけれど、結果「んー変えられないよね。このまんまなんだもんね、意味はねー。」に辿り着くのです。
つまり、「言いづらい」のは、私自身の技量の足りなさから来ていて、それを安易に回避しようと、台詞のせいにしようと逃げている自分がいる事に気付かされるのです。
😂
ちょっと難しい話になりました😅
言いたいのは
橋田壽賀子先生の台詞は、完成されていて、長く話す時には「言いたい事が沢山ある!」時
そして
アドリブが出来ない、てにをはを変えてはならない!ではなく、変える必要がなく、変える事が物理的に出来ない!という事。
勘違いしないで欲しいのは、台詞に振り回されて、アドリブを言う「余裕などない」という意味ではない、という事。
俳優は、台詞を自分の言葉として肉体に染み込ませて、心からの気持ちに乗せて吐き出す。
その時、脚本の「台詞」は、自らの「思いを乗せた言葉」になっています。
藤田朋子は、こんな事言わない、と思った事も、本間長子は「言ってしまう」んです。
その心のギャップを、いかに落とし込んで自らのの言葉にしてゆくか?
その繰り返し。
ふえー
文章だと、難しいな。
他の出演者の皆さんも、色んなご意見あるとは思いますが、私は、世間的に、『渡る世間は鬼ばかり』イコール、長台詞の代名詞になってから、いかに長い台詞を「長かったね!今」なんて感想を持たせないで見てもらえるように演じられるか?
が目標になっていました。
実は、シリーズ中盤頃に調べたら、一番長い台詞を話していたのは長子だった、という記録もありました。
夜のおかくら店内で
落ち込んでいる葉子姉ちゃんを励ます長子。
喋りっぱなしのカウンター席でのツーショットの芝居。
気持ちに寄り添って、台詞の長さを気にさせないで見てもらえたかな?
もう一度
見たいな。
さあ、今夜は
週の真ん中水曜日、インスタライブ。
先週は、掛け時計の電池がなくて、時間を間違えましたが!今夜は、8時から始めますよ!
プリン🍮一緒に食べながら、楽しいお喋りしましょう。
皆んなが見てる、っていうと見たくない症候群だった方にも見てもらいたい。
😢再放送👹
のお知らせ
橋田先生
本当に
ありがとうございました。
随分、前に
橋田先生が私に
「あら?今日は翻訳の仕事はないの?」って
役と私、ごっちゃになってるーって思ってたけど、今、思い返すと、ギャグだったんですね😞
うまく返せなくて、もじもじしてた私。
いいの、いいの、みたいな表情を読み取れなくて、恥ずかしい。
最低だった😱
ごめんなさい、先生。
私、先生のこと、その時は、遠く遠くの、立派な「すごい先生」としか思えてなかったんです。
あれから私も歳を重ねて、先生のお心に近くなれる気がしていました。
いつも
にこにこして。
いつも
誰よりへりくだって。
へりくだりすぎて、こちらがどんな対応したら、先生に失礼に当たらないのか困惑するくらい。
橋田壽賀子賞の時には、いつも、椅子から、ぴょんっ!て立ち上がって。
それも、座った、と思ったら、またすぐ、話したい事があって、びょん!って立つ。
こんな90歳、見たことない!って
皆んな感動してました。
お元気だった。
コロナのせいで、ルーティンがなくなって。
今年こそ!と思っていた。
急性リンパ腫。
急性って、こんなに急なんだ。
でも目を瞑ると、先生のあの明るい無邪気なお声と、キラキラした瞳の笑顔が浮かびます。
永い眠りについた。
そうなんだ。
おやすみなさい、なんだ。
先生。
おやすみなさい。
ありがとうございました。