実家のもう何が入っているかもわからない扉を開くと‥


風見しんごさん❣️


ファンクラブ入ってました。
大好きでした❤️
欽ちゃんバンドのオーディションも受けたりしたんです私。



わー!

Charさん!





高校の時、付き合っていた男子が、ピンククラウドのコピーバンドやってて、渋谷のライブハウスにピンククラウドを聞きに行ったのが、初ライブハウス🎵


そして!


ゴダイゴ🌈




中学生の時「三年生を送る会」で鑑賞した『キタキツネ物語』

これが私とゴダイゴの出会いです。

この後、テレビでチャイナ服を着てMonkey Magicを歌うグループが、この映画の音楽を担当している人達だと認識して、ファンになった訳です。



🎵ゆこう ゆこう みんなわくわく
踊るトキメキ🎵
だったかなぁ?
Good morning sunshineで泣いた中学生の私。
キラキラ眩しい草むらを走るキタキツネの映像に、この歌が、私の気持ちをかっさらっていって、感動していました。




ゴダイゴのファンになり、英語の歌詞を訳したいと思って、英語に興味を持ち、英語で日記をつけ始め、自分でも英語で詩を書く様になり、ゴダイゴの作詞をしている奈良橋陽子さんのラジオ『100万人の英語』を聴く様になり、陽子さん以外の曜日も聴く様になり、掃除の時間に「日本語禁止ネ!」とか言っちゃったり。


その後、奈良橋さんに会えたら、タケカワさんにも会えるかも?という下心で、奈良橋陽子さん主宰の英語塾モデルランゲージスタジオ(M L S)に高校受験の中3から通い始め、高校入学と同時に「玉川学園(私が入学した高校)なら英語劇クラブが盛んだから」と言われて英語塾を退会するも、高校2年で奈良橋さんの主宰する東京学生英語劇連盟(M P)に先輩が出演しており、観劇しにいくと、M L S主催の英語ミュージカルで高校生募集のチラシが配布されていて、私はオーディションを受ける訳ですが、オーディション会場には、奈良橋陽子さんもいらして、私は晴れて合格し、更に主役を演じる事になり、公演当日ロビーで両親は「娘さんは何か持っている(Toko has something!)」という言葉を鵜呑みにして、私には何か、演劇の素養があるのでは??と勘違い。
その後も、M L Sのオーディションを受けたり、M Pに参加したり、と奈良橋陽子さんを追いかけて演技の基礎を学んで行った私。


あ、そうそう
高校3年で『Adventure of Peter Pan 』というミュージカルに出演した時に、タケカワユキヒデさんが、音楽を担当されて、直接話したりはせずとも、間接的に繋がる事が出来ました。


その後、私は、『レミゼラブル』の初演のオーディションに合格し、その際に奈良橋陽子さんが私を預かってくださる事となり、マネージメントをする事務所を立ち上げる事となったのです。


私以外にも、奈良橋陽子さんのもとで


長い長い話ですが、すべては、この映画から始まったと言っても過言ではないのです。



そして!
宝塚歌劇団の公演を収録したレコード!


今でこそ
DVDなど、ステージを記録したものが出回っていますが、当時は、ビデオなどの普及もまだまだの時代です。

音ののみですが、劇場の様子が記録されていたレコードを何度も聞いて、観劇した記憶を蘇えさせたものです。



勿論、すべてが収録されているわけではありませんが、その当時やっていた宝塚のテレビ番組なども見たりして、楽しんでいました。

というか、そのテレビ番組を、テレビの前にテープレコーダを置いて録音していましたよ。


それに気づかないで「おはよう!」だの声をかけられると「★$○#×☆#/!!!」と声にもならない抗議の目で悲しんだものです😅




こういうのもありました。

話しかけてくれたりするやつ。



アイドルのはソノシートで、売ってたりしましたよね。


いやー
懐かしい。

懐かしすぎます。