明日から始まる舞台『男が死ぬ日』




演出のボビー中西さんです。
フジテレビ『ノンストップ!』でお馴染みの
ハリー杉山君も出演します。キャスティングの妙にも惹かれます。

私、絶対、見たいと思うのです。


 
この作品について知ると、心惹かれます。


 
「ガラスの動物園」「欲望という名の電車」という傑作戯曲を若くして生み出し名声を確立したテネシー・ウィリアムズ。

優れた芸術家がみなそうであるように、テネシー・ウィリアムズも、自分のスタイルを壊すような新しいことをやろうと常にもがいていた時期があったそうです。
そこで彼が出会ったのが、東洋の劇「能」であり、作家三島由紀夫であり、そして三島由紀夫の書いた「近代能楽集」。
この作品を通して出会った「東洋」を自分の中の「西洋」という文学的遺伝子に組み込もうとしたテネシー・ウィリアムズの野蛮で大胆なチャレンジが戯曲「男が死ぬ日」なのだそうです。


なんか少し難しそうですよね🍁


でも、も少し説明させてください😅
 
そして、更にテネシー・ウィリアムズの心をとらえたのは「能」という東洋的な劇の「形式」だけではなく、「死」をマイナスに捉えない東洋的な発想、考え方、心だったそうです。
「西洋」は「自殺」を「病」であり「弱気」であり「残念な行為」と捉えているのだそうですが、「東洋」=日本は、切腹、特攻隊(その是非はともかく)「自殺」を「後退」としてではなくて、ある種の「前進」と捉える文化だと、感じたようです。
「自殺」という西洋が否定する「観念」。その「観念」を積極的に「意味ある行為」としてとらえても良いのではないか、と思ったテネシー・ウィリアムズはそれを「西洋」と「東洋」の融合である戯曲「男が死ぬ日」のテーマに据えたのだという事です。
「積極的な自殺」、もしくは「芸術的な自殺」、「死を肯定する芸術行為」、そんなことをテネシー・ウィリアムズが生み出した危険な作品、西洋への反逆、それこそがこの戯曲「男が死ぬ日」だ、とのことです。
 
1959年に書き上げられたこの戯曲「男が死ぬ日」は、テネシー・ウィリアムズの亡きあとカルフォルニア大学に未発表の原稿として保管されなかったことにされたのだそうなのです。

その証拠に、現在、まだこの作品のことは日本版のウィキペディアにも載っていないし、英語版のWikipediaにも載っていない。(「男が死ぬ日」というテネシー・ウィリアムズの戯曲が無かったことにされている理由については「自殺を肯定するような内容だったからだ」Allean Haleは「The Secret Script of Tennessee Williams」)


なんだか謎めいてませんか😅


私がここ数年、お世話になっているワークショップの主宰アクターズ・ヴィジョン松枝佳紀さんのコメントを記します。
(上記の内容も、松枝さんからのお話の抜粋であります)

テネシー・ウィリアムズ自身が結局この自分の作品をどう思っていたのかはわからない。「この作品は早すぎた」と思っていたのかもしれない。
今となっては誰にもわからないけれど「男が死ぬ日」から肝心の自殺肯定論を抜いた作品を1969年「東京のホテルのバーにて」という作品として発表している。「男が死ぬ日 The day on which a man dies」が「東京のホテルのバーにて In the Bar of a Tokyo Hotel」になる。それはタイトルの変更からも判る「冒険」の後退だった。「男が死ぬ日」という作品、その執筆は、「226の青年将校たちの決起」のように、志は正しくとも反乱軍として鎮圧されるべき「暴挙」であったのかもしれない。しかし、だからこそ僕らはテネシー・ウィリアムズの「西洋」への反乱…「男が死ぬ日」を目撃するべきではないのかと思うのだ。
 
テネシー・ウィリアムズと三島由紀夫との交友が「男が死ぬ日」という戯曲を生んだ。そう聞くと、色々なことを知っている日本人はテネシー・ウィリアムズが「三島由紀夫の自決」に影響を受けて「男が死ぬ日」という戯曲を書いたのだろう、と早合点するかもしれないが、実は「男が死ぬ日」の初稿の執筆は「三島由紀夫の自決」に先立つこと11年前のこと。自死の意味については三島由紀夫とふんだんに語り合っていたテネシー・ウィリアムズだが、実際に三島が自決するだろうなんて思ってはいなかったのだろう。だから1970年11月25日「三島由紀夫の自決」その意志的な死はテネシー・ウィリアムズに衝撃を与えた。インスピレーションを得た。戯曲「男が死ぬ日」を書き直さねばならないと思った。テネシー・ウィリアムズは半分以上を書き直し、それは「男が死ぬ日」初稿初演に先立つこと7年も前の2001年にコネチカット州ホワイト・バーン劇場で上演される。演出はアクターズ・スタジオの重鎮、俳優であり演出家のアーサー・ストーチ。そして、この公演で三島由紀夫役ともいえる東洋人を演じたのは、当時アメリカで俳優修業を続けていた青年、若き日のボビー
中西であった。
これがどれだけすごいことかわかるだろうか。時代の交差点に立っていたのがボビー中西さんだったのだ。
彼がプロデュースし演出する公演「男が死ぬ日」を見なければいけない理由はまさにここにある。
2019年に生きる僕らはテネシー・ウィリアムズに会うこともできなければ、三島由紀夫に会うこともできず、三島由紀夫の死に衝撃を受けてテネシーウィリアムズが書き直して上演された「男が死ぬ日」の世界初演に立ち会うこともできない。

だが、その世界初演に出演し、あの日の空気と、三島由紀夫とテネシー・ウィリアムズから思いを受け継いだボビー中西さんが上演する「男が死ぬ日」は目撃することができるのです!

例えて言えば、ボビー中西さんが演出する「男が死ぬ日」は、75年周期でしか目撃できないハレー彗星のようなものだ。これを逃しては生きているうちには出会えない。75年後なんて僕らは生きていないし、ボビー中西だって居なくなる。テネシー・ウィリアムズにも三島由紀夫にも会えなかった僕らは今この演劇を「目撃」するしかないのだ。


明日からです。
観てみたくないですか??

『男が死ぬ日』
明日、9月5日(木) から15日(日)まで

東京都墨田区横川1-1-10
 
★本公演は一部キャストがダブルキャストです。
  (H)チーム:ハリー杉山 原愛絵
  (K)チーム:呉山賢治 浜中くるみ 
 
9月5日(木) 19:30((K)
9月6日(金) 19:30(K)
9月7日(土) 13:00(H)/18:00(H)アフタートーク
9月8日(日) 14:00(H)アフタートーク
9月9日(月) 休演日
9月10日(火) 19:30(K)
9月11日(水) 14:00(K)/19:30(H)
9月12日(木) 19:30(K)
9月13日(金) 14:00(K)アフタートーク
9月14日(土) 13:00個(H)/18:00(H)アフタートーク
9月15日(日) 13:00(H)
 
★アフタートークゲスト (敬称略)
9/7(土)18:00開演 出演:近藤芳正
9/8(日)14:00開演 出演:飯塚健監督
9/13(金)14:00開演 出演:米倉リエナ
9/14(土)18:00開演 出演:広田敦郎

リエナは私の師匠、奈良橋陽子さん
の娘さんで、演出家そして、ニューヨークのアクターズスタジオの会員です。