テレビ朝日系『イチから住』桐生編。
4ヶ月の間、ご覧下さいまして有り難うございました。
この仕事をして…
そう、これは仕事なのです。私から移住したい!という想いがあって、そこから番組が追いかけたのではなく「3ヶ月移住をして、その街の良さを、藤田さんを通して伝える番組」と聞いて引き受けた仕事。
友達って、なんだろう?
とか、
地元、って、なんだろう?
とか、
私って、なんだろう?
なんて考えさせられました。
この仕事が、私の耳におりてきたのは、去年の舞台の最中でした。
そのずっと前からマネージャーさんは、すでに
仕事のお話を聞いていたけれど「移住」は
藤田には…と、お断りしていたそうです。
私もはっきり最初にお目にかかるときに言いました。
新築で家を持ったばかりなので移住どころか、引っ越しは全く考えていません。
しかも、私独り。単身での移住なんて…
すると、大鶴義丹くんは奥さんが来たりしたとか、仕事のあるときは都内に戻れるとか、藤田さんの移住を通して、移住に興味のある人へ桐生の良いところを伝えて下されば良いのです。藤田さんの好きに過ごして貰って良いのです。
ただ、移住なので、バイトもして頂きます。
それも藤田さんの興味のある仕事を選んで下さい。
そう言われたら「ほんとに好きにしていいんですか?」はい「じゃ映画を見に行ったりとかして過ごしてもいい? 」あ、まあ、映画…はい。いいですよ。毎日、映画は困りますけど、絵を描いて過ごしても良いし、本を読んで過ごしても良いし。町の人と過ごして貰うのがいいと思いますが…
え、それならやりましょうか!
好きなことしていいのなら!
と、決めた仕事でした。
それでもバイト先など、ずっとカメラがはいることもあるから、事前に許可とか取る都合上、いくつか候補を出しておきますね、と言われていくつかのお店を聞いていました。
これはテレビの企画。何もかも自由になるわけではないし、そこまで私が決められることではない、と思っていました。
それでも「一応、許可を取っていますが、別にここに決める必要はないですから。あくまでも藤田さんがやりたい仕事が見つかったら、そこで働く方向で行きましょう」と言われて、前倒しでロケが決まり、桐生という町へ移住が決まりました。
桐生、という町は番組がきめた場所でした。
番組がホームページで掲げるように「縁もゆかりもない」土地へ少しだけ移住する。
正直なことを言うと、私は桐生という町について何も知りませんでした。
桐生に移住すると聞いて、頂いた資料を読んでも、今まで多くの旅番組に出演したときと同様な思いで「行かなきゃわからないよなー」と言う感じでした。
ただ「住む」のだから、私らしく「居たい」と思って、移住の為のノートを作って、まずは雑貨好きの私は、雑貨屋さん検索をしました。
ミシェルプラネット
ホンダ家具
きりん雑貨
早く行きたくなりました。
夫の桑山君が「行ってみようよ」と、いつものことですが、突然、夜、車で桐生に向かいました。
「初めて行くところでしょ。とこもどんなところか知りたいでしょ。見ておけば安心じゃない。僕も、とこが行ったあとに、何かあったら行かなくちゃいけないかもしれないから、1度、行っておけば安心じゃない」
ロケが始まる少し前に、桑山君が運転して桐生駅までドライブ。
お互いに、なんだか不思議な気持ちの移住生活前。
ロケが始まったのは11月の末。
まずは、駅から市役所まで町レポートしながら歩いてと言われて歩きました。
朝も早くて店はあまり開いていない商店街を歩きました。
本屋さんや下着屋さん、お肉屋さん…
市役所までに出会った素敵な奥様方…
今、思えば、普通の旅番組のような気分の私がいました。
2軒のお家とレンタカー。
ここまでは局が予め決めていてくれたこと。
番組を見てくださってた方の中には「台本通りにしてるだけでしょう?」と、予定調和なのだと思っていた方がいらしたけれど、番組の方が用意して下さったのは、この2つだけ。
それもお家、最初は一軒だけと聞いていたのですが、一軒めのお家が、あまりにも部屋数も多く広いので、ここは無理です、と伝えたら「もう一軒あるので、見てみましょうか」ということで、二軒のどちらか、で決めました。
そりゃきっと、何も起こらない毎日では困るから、きっと準備してくれていたこともあったかもしれませんね。
でも、ミラクルは起き続くのです。
最初のミラクルは、家が決まって、100均やドン・キホーテへ買い出しに出た日に、ランチが食べられるお店を探していて、通りすがりの女性からオススメのレストランを聞いて、そこへ向かう途中、雑貨屋ミシェルプラネットさんの前を通ったのです。
実は見つけられず、迷っていた私は、そのお店を諦めて、ミシェルプラネットさんに、オススメのレストランを聞いたのでした。
「オムライスが美味しいお店」と紹介されたのが伽羅さん。
ディレクターさんが言いました。
「ひとりでご飯を食べる場面は放送にはならないので」撮影するつもりはなく、ただオムライスを食べに入ったのに、伽羅さんの雰囲気の良さに「いいですねえ」と笑顔に。
オムライスを堪能して、ベッドを買わなきゃ、と立つと「ベッドなら、ホンダ家具さんがいいわよ!」と教えて頂く。
ホンダ家具!
ここも私が行こうと思っていた店。
それは火曜日のことでした。
水曜日が定休日のホンダ家具さんは、すでに遅い時間にも関わらず「今夜、お持ちしますよ!」と。
持ってきて下さった方が、本田さんからの手紙をベッドと一緒に運んで下さいました。
「何かあったら、なんでも相談して下さいね」と携帯の番号が書いてある手紙でした。
私は嬉しくなって、本田さんにショートメールで御礼を伝えました。
次の日、本田さんで買ったご挨拶用の手土産を持って、ご近所の方にご挨拶にまわろうと家を出たら、ばったり出会った方。
それが尾崎さん。
「引っ越して来ました桑山です」とご挨拶。するとスタッフさんから「藤田朋子でお願いします」と言われて… はあーと思ってしまった私でした。
尾崎さんは、埼玉県から移住の方でした。
尾崎さんのお宅に初めてお邪魔したとき、あまりに素敵なログハウス、そして、ハンドメイドのカーテンや小物を拝見して、仲良くなりたい!と思った私。
「何かあったときに連絡出来るように」と電話番号を下さいました。
そしてバイト探し。
まず本田さんにショートメール。
どこか良いバイト先、紹介して頂くことは可能でしょうか?
ちなみに、テレビが撮影に入ってもいいところで…と相談すると「ありますよおー!うちでもいいし!」
ですよねー!
ホンダ家具さんの雑貨コーナーはどう?と言われて、素敵!と思いました。更に、デイサービス わがまま倶楽部という、リハビリ施設も見に行きました。
ホンダ家具さんと、わがまま倶楽部さんは、放送にはならなかったのですが、最後まで悩んだ候補でした。
おっきりこみ まつもとさん、パン屋のレンガさん、そして、最後にたまたま立ち寄ったお茶屋 矢野園さん。
スタッフさんは「藤田さんの好きなところで構わないですから」
んーー
悩みました。
実は、レンガさんは、スタッフさんが選んだバイト先として、資料の中にあったお店でした。
ここで私は「本田さんは、スタッフさんに頼まれてここに連れてきたのか?」それとも「たまたま何も打ち合わせなく知り合いだったのか?」という疑問がわくのです。
思いきってスタッフさんに尋ねると「偶然です」
ほんとかなぁ。
本田さんにも聞いてみました「これはね、言おうか迷ったんだけど… 本当に偶然なのよ。素敵なお店だから、朋子さんに見せてあけたかったの。お店だけじゃなくて、お家のほうも素敵だったでしょう?」
そうかー
余計な気を使わせてしまったなぁーと思った私でした。
そこで真っ白な気持ちで再考。
まつもとさんは、何年も働いておられる方が、まだまだ!と言われているような世界。腰掛けで働いても足手まといになるだけ。
レンガさんは、パンの値段を覚えきれないかもしれない。
わがまま倶楽部さんは、いくら資格がなくても大丈夫とはいえ、おっちょこちょいの私は、ご高齢の方を怪我させてしまうかもしれない。
結果!
骨董好きな私は、歴史のある建物に強くひかれたのもあり矢野園さんに。
まずは矢野園さんに足を運んで…
撮影が入ってもご迷惑にならないのか?
私みたいのでも出来る仕事があるのか?
様々な疑問をご相談。
晴れて、働かせて頂くことになりました。
それから、あれはいつだったかな…
いつも通り道で気になっていた場所に、ふ、と寄りたくて突然、立ち寄ったのが新保さんち。
風土記さん。
お店には誰もいなくて…
しばらく中をうろうろしていたら、母屋から、おばあちゃんが…
私が誰か分かった途端、電話「すぐ帰って来て!」あ、大丈夫、大丈夫!「いや!早く帰ってきて!」
おばあちゃん、いいのに、すみません…
「炬燵に入って待ってな」え、いいですいいです。「寒いから、入って」えーじゃあー
と、初対面なのに炬燵に入って待ってると新保さんが娘さんがご帰宅。
そんな出会い。
何時間でも入り浸る雑貨屋、ミシェルプラネットさん。
行き付けの食堂、伽羅さん。
地元に愛されるお茶屋さんの皆さんに、ここの家具を入れていない店はないというホンダ家具、本田さん。
移住の大先輩、尾崎さん、そして、自宅がライブハウスの自然を愛する新保さん。
ミラクルです。
このキャスティング。
ミラクル以外の何ものでもありません。
信じれないけれど、すべて台本なしです。
楽しかったぁー
毎日、ロケが終わると次の日の予定を打ち合わせ。
私から、誰それさんと、どこそこに行く約束したんですけどいいですか?
桑山が来たときも、スケジュールを私が立てて、おもてなし。
最後のパーティーも…
私が準備しながら「なんか、ほんとにホームパーティみたいだあ」と言うとスタッフさんが「ホームパーティですよ」って。
これはミシェルプラネットさんから。マリーポールさんのケーキ!
あの最後の回の放送のあとから、なんだかボンヤリしてしまって。
お世話になった皆さんからも「何度も録画したのを見て泣いてます」って連絡が…
私も…
私の人生において、親友、と呼んだ友人が何人かいます。
幼稚園はともかく、人格をしっかり持ち始めた小学生の頃の親友、地元の中学の親友、多感な高校生時代や、将来を見つめた大学時代。
仕事を始めてからの親友など、友人、知人、それ以上の関わりや、交流を持った人格をがいます。
います、というか、いました、というか。
と、いうのも、小中学生の頃の親友は、歩いて5分、10分の近所に住む、いわゆる、幼馴染みです。
互いの家を行き来して遊んだ仲。
高校生にもなると、徒歩圏内の友人はなく、小中学校の友人ともすれ違いになり、互いの家でままごと等をすることが中心だった小学生時代の親友とは連絡も疎かになり、高校のクラブ活動の仲間との付き合いが忙しくなり、そして大学にもなると、同じ大学だけでなく、他の大学の仲間とも演劇を通じて会うようになり、中学校の親友とは、誕生日を祝うのに年に1度会うだけになり、役者になってからは、不思議なことに、学生時代の親しい仲間は、逆に連絡もしてこなくなった…というのも、この頃は、よく知らない、あまり親しくない知り合いからの連絡が増えていた時期でした。
親しい仲間は、どこか、私が、遠くに行ってしまった気がしていたらしい。
私が連絡をすれば、前と変わらない笑顔を向けてくれるけれど、必要以上に連絡もなく、私を見守ってくれています。それは今も。
そう。
時代的に、私の青春時代には、携帯電話、パソコンはなく、通信手段は家族の固定電話か手紙。
電話をするにも、クラブ活動が終わって夕飯を食べたあと、となると、もう8時、9時。電話をかける時間ではなかったし、見たいテレビも始まるし、そうかと言って、登校前に電話をするわけにもいかないし、クラブがない日は、塾があったり、学校の仲間との集まりがあったり。
今のように、僅かな時間にLINEを打ったり、友人の近況をFacebookで確認することもなく、自然と近くにいる友人が、1番の友人となっていく…
同世代の方は、きっと同じような想いがあるかもしれません。
今、私は、大学時代の友人、高校からの友人とよく会っています。
勿論、仕事のスタッフさんの中にも友人と呼ばせて頂いている方も沢山います。
でも悲しいのは、殆どの場合、その方々は「仕事仲間」なんだと思うのです。
現場で仲良くなって、連絡先を交換しても、一緒に仕事をしなくなると、学生時代の友人同様に、連絡を取る機会が減って行く。減って行くと連絡を取りづらくなる。果てには連絡先が分からなくなる…
以前なら引っ越しして住所、電話番号が変わって、今はLINEのID、メアド、携帯が変わる…
果たして「友人」ってなんだろう。
成人すると少し学ぶわけです。
「疎遠になるというのは、致し方ない。そんなに沢山の友人と縁を繋ぎ続けるのは難しいし、迷惑な場合もあるのかもしれない。」
私は暑中見舞い葉書を書くことを数年前からさぼっています。
いつだったか、毎日に追われて書けなくて、自分を責めたけれど「しかたない。このずぼらなのが私」と開き直りました。
楽になった。
年賀状は頑張っています。
それでも、前のように返事のない人にまで書くことはやめました。
返事を下さる方には書いています。
Facebookが普及して、何をしているか会わなくても手に取るように日々の生活が分かる時代ですが、年賀状は書き続けられるなら続けたい。
そして、桐生。
私が巻き込んで、テレビに出演することになった皆さん。
放送に登場してくださった皆さんは、自分がテレビに出たいとか、お店の宣伝をしたいとか、そんな気持ちではなくて、私のために動いてくださってた。
私の知らないところで、私のしたいことを調べて下さって提案してスタッフさんに協力して下さったり、スタッフさんと私の気持ちを汲んで日々過ごして下さって。
スタッフさんからも、きっと色んなお願いもされていたと思うんです。
「これ、朋子ちゃんに言っていいのか分からないんだけど」とか「藤田さん、知ってる?これ?」とか、わたしに相談して下さって、まるでマネージャーさんか、両親か… いや、大親友のようでした。
だからね、毎日、毎週会えていたけど、これからは、半年に1度とか、2年に1度くらいしか会えないかもしれないけど、それは、しかたないの。
会えなくても、この絆は、変わらないの!
だから、さみしくない。
悲しまないで。
ありがとう!
ありがとう!
ありがとうございます!
番組を見てくださっていた皆さん!
他の移住の方はどうだか分からないけれど、私と桐生の皆さんの友情は、テレビがあったときから今もずっと、台本なしの嘘のない本当の友情がうまれました。
「移住だなんて4ヶ月で何がわかる。移住じゃないよ、そんなの!」という声もあります。
でも、『イチから住』は、「3ヶ月滞在して、その町の良いところを体感する」=移住 という風に呼んでいるだけで、本当の「移住」ではありません。
誤解をされるようなタイトルでごめんなさい。
たった4ヶ月。
でも、この4ヶ月は、私の人生のたからものになりました。
テレビが入っていた。
仕事だった。
仕事のあるときには東京の自宅に戻った。
だから慣れないころは、目が覚めると、今どこにいるのか??と、精神的に不安定になった時期もありました。
でもふりかえって、去年の秋からの4ヶ月は、本当にミラクルでした。
楽しかった。
テレビ朝日さん。
イチから住。
スタッフの皆さん。
同行したHさん、Sさん、ありがとう!
素敵な番組に参加できて幸せでした。
っということで!
桐生にまた戻りますから!
まずは、必ず戻るのは
6月23日(土)
有鄰館 コンサート
6月24日(日)
風土記 ライブ
またね!
あー
気持ちが書けて、すっきりした!
まだまだ桐生でのこぼれ話あるので、また書きますね!
桑山哲也 アコーディオン
ソロコンサート
2018年6月16日(土)
16:30開演
5,500円 (ワイン、紅茶、お菓子付き)
於 鎌倉 歐林洞 ギャラリー
〒248-0005
神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目12−18
☎️ 0467-23-8838