先日、前田美波里さんとした旅、いかがでしたか?











さて今日は、大学時代に参加したサークル東京学生英語劇連盟で御一緒していた先輩Iさんの偲ぶ会に出席しました。


Iさんが亡くなったのは去年の12月。
偲ぶ会には、サークル以来の再会となる仲間も駆け付けました。

発起人の方々は、ネットをフル活用して、一人一人、探してご案内をしたそうです。


故人の性格を重んじて、哀しい会じゃなく、Iさんが生前ガハハ!と笑っていたように、スマイル!が合い言葉。


スライドに、当時(30年前!)のスナップや、サークルや、Iさんの母校の公演パンフレットが映し出されると、自然とスクリーンの前に皆が集まって。


若かりし頃の自分が現れると隣に立って、Iさんとの思い出話。


亡くなって美化されるエピソードはしらけるけれど、Iさんがいかに沢山の人の心に影響を与えていたのかが分かる素敵なお話ばかり。

涙を流しながら、ガハハ!と笑う私達。


最後に、奥様から感謝のお言葉。
声を詰まらせる瞬間も「スマイル!」と応援が飛びます。

「主人の40前の姿も見れて…」と言うと笑いの後に「40前どころか、10代だよ……」と口々に。

10代の頃に巡り会った仲間と、またこうして笑い、泣き、つつきあって語り合って。

私達は幸せだ、と感じました。

私も、サークルに参加した大学一年生の時に戻って、先輩方に甘えて。

立食のブッフェにお料理を取り分けていると「とこ!もういいから座ってなさい!」って。怒られる。ていうか、注意してくれる。

私が、女優でもなかったハナタレの泣き虫の、ちょっぴり引っ込み思案の甘えん坊だった頃を知っている先輩が、私を私らしく扱ってくれる。


嬉しい空気。
ほ、っとする。
英語劇だけしかなかった、あの毎日を一緒に過ごした仲間がいるから、私は元気になれる。

変わらないなぁって言われる。
それが、くすぐったくて嬉しい。

好きに泣いても珍しがられない。
大声で馬鹿笑いしても変な目で見られない。
可笑しな格好で座っていても指を指されない。


素敵な仲間だな。
有り難いな。
Hさん、皆を集めてくれてありがとう。

仲間を続けて亡くしたHさんの切実な想い「次に会えると思ったら会えない、という想いをしないように、会える時に集まろう」の言葉のもと、足を運びました。


そうして、偲ぶ会という名の同窓会。
リユニオンです。


あー泣いた。
あー泣いた泣いた。
あー笑った!


Iさん、ありがとう。
Hさん、ありがとう!

同期のMちゃんが芝居観劇ゆえ席を立ったので私も!と、先輩を誘ってタクシーに。


そしたら、その運転手さんの楽しいこと!

詳しくは書きませんが、ともかくね、ホントにね、今日は色おおおんな種類の感情が湧いてきて、涙ぽろぽろ、笑顔がワハハ!


帰ったら、寂しがり屋のワンコが、玩具をくわえてやってきた。






ぶう。
ありがとう。

幸せ過ぎると、自分がどれだけ幸せなのかに気づけない。

痛みとか、哀しみが訪れた時に、こんなに胸が苦しい瞬間を、どんな風に切り抜けたら良いのかと大袈裟に悲観的になったりするけれど、そんな気持ちが我が身に降りかかるのは、小さな小さな幸せを噛み締めるための助走だと感じる事が出来るのは、なんという幸せ。


神様。
すべてを感謝します。


悲しみも、苦しみも、感謝します。
仲間を、笑顔を、そして健康を、感謝します。


今、悲しみに沈む仲間、苦しみの渦中の一人一人と共にいて下さい。
祈ります。
どうぞ、弱き人に寄り添い導いて下さい。


私の願いです。