9月16日は芝南後援会による

原水爆禁止世界大会


」の報告集会がありました。

参加者28名で

「医療生協さいたま」の柴山祐子さんと

共産党川口市議団から派遣された私とで

それぞれ8月7日8日の大会参加の報告をしました。


柴山さんも私も長崎現地会場には初参加で

会場の熱気や

日本全国、世界各国の

各団体から代表が来ている事

皆さんが被爆地長崎に来れて

平和を願う多くの人々と会えた事を喜んでいる事


とくにヨーロッパの方によるNATO批判や


杉並区の署名運動


から、この大会が始まった事など同じ所に驚いていました。



私は開会式で福島から来た学生さん達が

「ALPS処理水の海洋放出反対」の声を上げていた事が特に印象的で

福島の若者から、反対の声が上がっている事に

大きな意味を感じた事を話しました。



分科会はそれぞれ違う会に参加したので

良かったです。


私は佐世保の軍港を見た話をしました。

台風の影響で普段と違って見れるモノが少なかったのですが現地の方による解説が良くて

佐世保港はアジア圏に攻め入る時の月極め駐車場として使われていて、攻撃を受けたら佐世保の住民は巻き込まれてしまう。という事を話しました。



大会報告の他に

芝南地域の平和活動について

毎月9日に蕨駅で署名集めをしている事を

支部員さんが話してくださり


他にも参加者にマイクを回して

ご自身の体験談や親から聞いた話など

戦争の時代の話をしてもらいました。


とにかく食べる物がなくて、さつま芋なんてあればマシな方でその辺に生えている草などなんでも食べた。


疎開先で納屋に住んでいて、いつもご飯時になると妹が他所の家のご飯食べたいと泣き喚いた。


父が出征してまだ30代だった母が5人の子どもを抱えて苦労をしていて、幼い自分は「農家にお嫁に行くね」と言った。


空襲で火事になって田んぼの畦道を走って逃げたのをずっと覚えている。


東京に住んでいて大空襲に遭って家を焼かれてバラックを建てて住んでいたが雪が降れば寝ている上に積もり、雨は家中の器を出しても受けきれないくらい入ってきた。

焼け野原で遊んでいて足を怪我して、薬が無いから父が刻みタバコの葉をなすり付けて血止めした。今でも傷が残っている。


小学校のグランドに畑を作って農作業したり

空襲に備えて防空壕に逃げ込む訓練をさしたり

小学校時代に勉強も遊びも出来なかった。


小学校一年までは教科書があったけど2年になったら教科書を切ってしまえ!と言われて唯一の本だった教科書には思い入れがあったけれど……

という話などなど


ご高齢の参加者が多かったのでリアルで大変貴重なお話が聞けました。

若い参加者が殆どいない事が勿体無い!


戦争になると女性と子どもが一番苦労する。

もう2度と戦争はゴメンだ!


会場に共通認識がバッチリ浸透していました。


この戦争体験談ができる世代がいなくなったらどうなってしまうのだろうと心配になります。私達が、情報と思いを引き継いで平和を守っていけるか、次世代に伝えていけるか…

やらねばなりません。


原水爆禁止世界大会はその為の大きな役割りを果たしているイベントです。

主催してくれている方々に感謝します。


核兵器は他の兵器と違い爆破して終わりではなく

放射能を撒き散らして、全てを汚染し

生き物が生きられない様な世界にしてしまいます。しかも、すぐに影響が出るのではなく

時間が経ってから病気や体調不良が出てくるのです。えげつない!


日本は今、戦争こそ起きていませんが

原発事故で危機的状況が続いています。

8月末から始まったALPS処理水海洋放出は

国際問題になって戦争になりかねませんし

自然界において、どの様な影響が出るか未知数で私はとても恐れています。