なぜ旅に出るようになったのか、どうしてその土地へ行くようになったのか、私の人生におけるかけがえのない宝物の日々を、奇跡のような旅の話を、書きたいと思っている。思ってはいるけれど、私の頭の中はそんなに高性能にはできていなくて、誰かが望むようには書き進めることができない。
本当はきっと順を追って書いていったほうが良いのかもしれない。
でも今は、ふと頭に蘇る思い出をひとつずつ回想してゆくほうが、私には合っているような気がする。
私のことを知らないほとんどの人からすれば、話は点で飛び、時系列はめちゃくちゃで、きっと線として物語を繋げてゆくのはとても大変なことだろうと思う。私のすべてを知っている親友でさえ、話す度にいつ何処の何の話なのか混乱しているほどだ。しかしながら、どうかご了承願いたい。
私には少し変わった性質があって、たとえば一冊の小説を読むにしても、最初から最後まで順番に読み進めることができない。いや、普通に冒頭から読み始めたとしても、話の結末が気になって最後の頁に手を伸ばし、またさらに少し遡ってみたり、今度はパラパラとめくったところで目に留まった気になる台詞や気になる章の題名からその部分を先に読んだり、とにかくめちゃめちゃなのだ。
本の読み方に決まりがあるわけではないけれど、それは作者の意図とは異なる読み進め方かもしれない。言うなれば、溢れる好奇心が押さえられなくて最後まで待てない、我慢できない子供のような、それは至って普通のことだろうか。
とにかく、そういったわけで、いつの日か旅の話を全部書き終えた暁には、番号を譜って並び替えたいと思うので、それまでちょいとお付き合いください。あるいは、そもそも時系列なんてないほうが良いのか。はてさて。
いづれにせよ、一体どれほどの時間を費やして書ききれるものなのか、まだ見当が付かない。
いっそのこと、旅の写真とともに、本として作り上げようか。
高校大学と7年間、デザインの勉強をしてきて、今こそ力を発揮するときがきたのかもしれない。もう既に、紙の材質や写真と文章の構図は何となく頭に浮かぶものがある。
ちなみに学生時代から腕を買われていたのはデザインよりも写真のほうだった。
母は私の描く絵や作品を褒めることは殆どなく、むしろけちょんけちょんに貶(けな)されていたけれど、暗室にこもって励んでいた写真だけは唯一褒めまくってくれたので、一時はその道を志したこともある。
今は、デジカメやスマホで誰でも簡単に写真が撮れる時代になって、写真の価値は下がってきているのかもしれない。でも、きっとその人にしか撮れない写真っていうのが絶対にあると私は思っている。
私の場合はポートレイトが一番得意だけれど、それは単純に私が人を好きだからだと思う。芸術家みたいな発言をしてしまえば、撮りたいものしか撮れないし、好きな人しか撮れない。その時の気分にも大きく左右される。
結局のところ、そんな気分屋で飽きっぽい私に、文章や写真を仕事にしてゆくなんて少し無理がある。
だけど若かった私は、自分の力で生きてゆくために、手に職をつけなければならないと思っていた。それは父が娘を心配して、顔を合わせる度に言っていたことでもある。
だけど、あるとき友人たちに言われた。
「トモちゃんは何かのプロになる必要なんてないよ。あれもこれもやって、ああ楽しいって生きているのが合っていると思う」と。
目から鱗が落ちた。そういう生き方もあるんだよね。
若くて小娘だった私は、本当に何もできなくて、一人で歩いてゆくことが怖かったし将来のことを想うと不安でたまらなかった。
でも、年を重ねて図太くなったのか、経験を積み、ある程度何でも自分でできるようになった分、生きてゆくことに対して腹を括り、それなりの自信がある。
よく分からない根拠のない自信。
だって、ずっと良い子にしてたから。
私たちは選ばれし子どもたち。お空から守られている存在。
私のドレッドは、沢山の人達から見守られ、よしよしと頭をわちゃわちゃ撫で回されてできたもの。
自分でできることは自分でやって、それでもダメだったら、その時は必要に応じて助けてくれる人が現れると信じている。実際に今までそうだったから。
世の中、捨てたもんじゃないです、本当に。
ああ、何だかまた、永遠に続きそうなどこに向かっているのか分からないオチのない話を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
自分らしく、好きに生きてゆく、というお話でした。
周りに迷惑をかけても、自分なりの愛と感謝を持つことを大事にしながら。
生きていて本当に良かった。
昨年、2019年の立山登山の際のやんちゃな一枚。
ずっとこうありたい。
2020.01.25 18:46:25
2020.01.30 21:17:07