オーストラリア時代、一瞬だけ極貧だった時期がある。
仕事をせずに、日々の暮らしや目の前のことにフォーカスして暮らしていた。
季節が変わり、動くときが来た。
ゴールドコーストからケアンズまで飛行機で移動して、とりあえずキュランダへ向かった。
そのときの精神状態は、これから先どうしようかと、あまり元気はなかったけれど、とにかく動かなきゃという気持ちだけはあった。
テントも持っていたし、お金がかからないようにどこか野宿できる場所を探しまわって、大きな荷物を抱えたまま小さな街を彷徨いていた。
すると1台の車が止まった。助手席には中学生の女の子が座っていて、その子のお母さんに声をかけられた。
「どうしたの、どこへ行くの」
と、心配された。
「たとえ教会の敷地内だったとしても野宿なんて絶対にダメだから。もし必要であれば近くのキャラバンパークまで乗せて行くし、なんならうちに来ても良いのよ」
と、諭された。
甘えたい気持ちもあったけれど、さすがに家まで押し掛けて迷惑をかけることはしたくなかったので、近くのキャラバンパークまで乗せて行ってもらった。
私に野宿はまだ早いと神様に言われた気がした。
そしてもし野宿をしていたら、私の両親はとても悲しんだだろう、と思い直した。
キャラバンパークでなけなしのお金をとりあえず2泊分払った。
ご飯は1斤1ドルの安いパンにピーナッツバターを塗ってカロリーを摂取し、朝晩は寒かったのでインスタントのスープにお湯を注いで暖を取り、お腹を満たしていた。
夜、森に囲まれたひと気のないキャラバンパークの一角で、焚き火をしながら静かに祈っていた。
赤い火の粉が煙とともに夜空へと上がってゆき、まるでそれが満天の星に変わっているようだった。
次第に身体は温まって、強い眠気が襲ってきた。
私は次の朝、誕生日を迎えた。
ひとり、森の中で迎える誕生日はどんなに惨めで孤独だろうかと思っていたけれど、まったくそんなことはなかった。むしろ、その年の誕生日はひとりで過ごしたいと強く願っていたのだった。
眩しい朝日、鳥の声、澄んだ空気、まるで昨日までとは世界が一変したかのように、目に映るものすべてが輝いて見えた。
炊事場で朝食を終え、テントの方に向かっていると、風が吹いた。
そして、黄色い葉っぱがまるで雨のようにそこらじゅうへパラパラと降り注いだ。
私はとてつもなく感動していた。
一体何が起こったのか分からなかったが、不安よりもわくわくする気持ちの方が勝っていた。
数日後、私は選択を迫られていた。
右の都会ケアンズへ行くか、左の田舎マリーバへ行くか。
たまたまイタリア人のブラザーから誕生日おめでとうと電話がかかってきて、近況を報告し合っていると、彼は今、左の田舎のファームで働いているとのことだった。
それで私は左を選んだ。
インフォメーションセンターへ行き、バスの時間を調べていた。
対応してくれたおじさんが、私の行く方角、そして荷物を見て、仕事を探しているのかと訊いてきた。そして、ここに連絡してみるといいよと、マンゴーファームの連絡先を渡してくれた。
ありがとうとお礼を言った後で、外のベンチに腰掛けて携帯電話をいじっていた。
すると、誰かが私の目の前に立った。
顔を上げてみると、ニュージランド時代のボーイフレンドで、彼は照れくさそうに頭をかいていた。
「えー!」と、私はとても驚いて、驚きすぎて笑いが止まらなかった。
私がまさにこの街を出ようとするそのときに、彼はちょうど到着したばかりだった。
会話したのもたった5分か10分。それでも十分だった。神様のいたずらが半端なく、笑わせてくれる。本当にこんなことってあるのだろうか。
興奮冷めやらぬその彼との話はまた今度にして、話を進めよう。
とにかく私は明るいうちに目的地に着きたかったので、夕方までバスが待てずにヒッチハイクをした。ニュージランドに住んでいたときは毎日ヒッチハイクで仕事に通っていたので慣れたものだった。もし、車が止まらなければ、夕方のバスに乗れば良い。ただじっと待っているのは時間もお金ももったいない。
そんなこんなで、親指1本ですぐに車は止まってくれて、あっという間に旅人の集まるキャラバンパークまで辿り着いた。
旅人たちはみんな、ここで生活をしながら、それぞれ色んなファームで働いていると聞いていたので、これでひとまず安心だと思った。
私はレセプションで、1週間分のレントとそれと同じ額のデポジットを支払ったら、所持金が4ドル50セントになった。
とにかく1週間分の寝床は確保した。あとは食べ物を買うお金と、この1週間で仕事を見つけなければ、と奮い立っていた。
私は着いて早々にすぐさまスーパーマーケットへ向かった。そこで恥を忍んで、ウクレレ片手にへたくそな歌を歌い続けた。
当時はウクレレがまだ全然弾けなくて、できる曲が2、3曲しかなかったので、それをひたすら繰り返していた。
暇を持て余したアボリジニのおじさんが私の腰掛けていたベンチの横に座って、
「また同じ曲じゃん」と、笑っていた。
そこへ連れのポリネシア系の女の人が2人やって来て、スーパーマーケットで買ったばかりのみかんの袋を丸ごとくれた。
3人がどこかへ帰って行った後も私はとりあえず、日没まで歌おうと決めていた。
来たばかりの知らない街の夜は怖いので、夕焼けが残っているうちにキャラバンパークへ帰りたかった。1時間くらい歌っていただろうか。
杖をついた品の良いおじいさんが女の人に介助されながらこちらへやって来た。
そして「You are so lovely」と、言って私のウクレレケースにお金を入れてくれた。
私は「Thank you」と言うのが精一杯だった。
彼は目が見えていなかった。
でも、自分の足で私のところまでわざわざ来てくれて、そして何とも優しい言葉をかけてくれて、私は彼らがその場を立ち去った後、堪えきれず胸が一杯になって泣き出してしまった。
それを見ていた少し離れたところに座っていた別のおじさんが私が泣き出したことに驚いて駆け寄って来た。
「大丈夫か」と声をかけてくれたので、
「大丈夫です。ただ、今こういうことがあって、とても感動したんです」
と、伝えたら「そうか良かったな」って、そのおじさんもお金を入れていってくれた。
もう私の胸には収まりきれないくらいの愛で満たされていた。
今でもあの帰り道の夕焼けは忘れられない。
バスキングをしたその1時間で得た10ドル25セントはとっても有り難く、それを噛み締めながら、ひとまず食料を買ってキャラバンパークへ戻った。
そのキャラバンパークには日本人の子が沢山居て、ファームの情報をくれたり、お金のない私に対し、一緒にご飯を食べようと声をかけてくれて御馳走してくれたり、本当に助けられた。
しかし、当初の思惑とは裏腹に、その年の天候の影響で、ファームの収穫の時期がだいぶ遅れていて、4週間も6週間も仕事待ちをしている子たちで溢れていた。
それは私にとって死活問題だったので、仕事探しの傍ら、週末にマーケットをやっていると情報を頼りに、とりあえずそこで何かを売ることにした。
その当時、私は編み物にはまっていて、手を動かすことで瞑想状態に入るというか、乱れまくっていた気持ちを落ち着かせていた。
編み物と言っても、私が唯一編めるのは、バイロンベイで出逢った20歳上のレジェンド、ユミさんに教えてもらったキノコのストラップだけだったけれど、とにかく週末のマーケットで売ろうと、ひたすらキノコを作りまくっていた。
編み物の良いところは人と話しながらできるところ。そして失敗してももう一度ほどいて何度もやり直せるところ。
キャラバンパークでは新参者だった私に、本当にみんな良くしてくれて仲良くしてくれた。みんなで夜な夜な飲んだり話したりしているときも、私はひとり何かに取り憑かれて狂ったかのように手を動かし続けていたので、みんなは不思議そうに、何を作っているのか、と訊いてきた。
「お金がないのに全然不安そうじゃないし、むしろ作っている時は幸せそうな顔をしている」と言われた。
決して不安がないわけではなかったが、私はキノコを作るのは良い気分の時だけと決めていたし、この先のことはきっとどうにかなるだろうと心のどこかで思っていた節はある。目に見えぬ何かに守られているという漠然とした根拠のない自信みたいなものもあった。
それは自分の意志で動き始めた時点で、峠は既に越えたと感じていたからだろう。
確かにこの時点でお金はなかったけれど、食べる物も寝る場所もあって、さらにこうして話せる相手もいて楽しかったし、状況は確実に改善していたので、気持ち的にはどん底というより、むしろ感謝でいっぱいだった。
それで、私からキノコを買うと幸せパワーがもらえそうな気がすると言ってくれる子もいたので「ドネーションで、言い値でいいよ」と、作るそばから週末のマーケットに出す間もなく売れていった。
到着してから3日後、仕事が決まった。
何週間も仕事待ちしていた子たちを差し置いて、一人だけ、しかもたった3日で決まったものだから、当然みんな驚いていたけれど、それをひがんだりするわけでもなく、「強運だね」と喜んでくれた。
キノコの方も、そんな強運にあやかりたいとさらに売れ、手にした翌日に仕事が見つかったって連絡が来たときは、私も嬉しかった。
本当にギリギリだった生活の中で、色んな人の優しさに触れて、そして助けられて、私の心はとても温まっていた。
結局、キャラバンパークを5日間で出て、ファームで3か月働き、無事に人並みの生活を送れるようになった。
私はこの、4ドル50セントからの這い上がりぶりを心に刻んでいる。
何かに導かれているとしか思えない。
本当にお金が必要なときには、このときみたいに必要に応じて必要なものが巡ってきたりするのだろうと思う。
未来は明るい。何も心配ない。本当にそう思うよ。
写真は当時、キャラバンパークで撮った唯一の写真。
貧乏だったので良い感じに痩せておる。笑
2020.01.20 07:13:01