クスコの宿であれやこれやを全部予約して、今回の旅で一番行きたかったと言っても過言ではない、天空都市・マチュピチュへ行ってきました!!
オリャンタイタンボ駅からマチュピチュ駅までは、こ~んな素敵な列車で向かいます。


天井もガラス!いい景色!
(日が照ると暑かったけど)
マチュピチュ村(旧名アグアス・カリエンテス)は温泉郷のような佇まい。
実際温泉も出てるんですよ!

このあたりは、山のフォルムがすごいんです。
もうね、断崖絶壁!


あ!エッセイストモードが出てきた!
◆◇◆
頭上には、垂直かと見紛うほど峻険たる山々。
眼下には、岩を削らんとばかりに逆巻く渓流。
深山幽谷とはこのことである。
麓の村からマチュピチュ遺跡まではバスで約三十分、探検家ハイラム・ビンガムの名を冠した道をゆく。
つづらの道を十三たび折り返して辿り着いたその遺跡は、天空城の名に違わぬ威容を我々に見せてくれた。
◆◇◆
ちょっと短めにまとめといたよ!
まぁ、そんなこんなでマチュピチュ遺跡に着いた訳ですよ。
遺跡で最初にお出迎えしてくれたのは、リャマさん達。


長~い階段をひいふう言いながら『見張り小屋』まで登ると……、
!!!


これぞマチュピチュ!といった光景が目に飛び込んできました。
旅行記や海外旅行パンフレットで何回も見てきた構図ですが、実際に見るとまた印象が違いました。
きっと周囲の険しい山々や、時折視界を覆う雲と霧、温度や湿度、達成感なども関係していたからだと思います。
とにかく、嬉しくてしょうがなかったです!!
あと、私が写ってる写真の構図が素晴らしすぎると思いません?
カメラに慣れていない地元の人に写真を撮ってもらうと、上手じゃないことが多いし、カメラを持って行かれちゃう危険性に備えてなければいけません。
でもね、いいカメラを持ってる旅行者はちゃんと写真を撮ってくれるってことに気付いて、最近はそういう人にお願いするようにしています。
昔は首からカメラ下げてるのは日本人旅行者のステレオタイプみたいに言われてたけど、今は欧米人の方がバシバシ写真撮ってますね。
閑話休題、ウキウキした気分のまま、自由に遺跡内を回ります。
住居?穀物庫?のようなエリア。


中央部の石組みが、コンドルに見えるってガイドブックに書いてあったけど。

手すりの下は断崖絶壁!

超急勾配の段々畑。

マチュピチュは、農業試験場としての一面もあったんですって。
石切り場に座イスのような形の場所を見つけ、小1時間ひなたぼっこ。

お、露点が目に見える!

緻密に組み立てられた建物、暦を正確に読み取った日時計、日当たりを計算して作物を植え分けた段々畑。
こんなに険しい山の上に、これだけ精巧な都市を作り上げたインカ帝国の技術力に舌を巻くと共に、その滅亡へのプロセスに大きな悲哀を感じます。
フランシスコ・ピサロに率いられて南米大陸を南下してきたスペインの征服者たちは、わずか168名の兵士と1基の大砲という兵力で広大なインカ帝国を制圧しました。
それ以前から伝染病などにより帝国が弱体化していたこと、帝国の戦闘法がスペインの近代的な戦闘法に通用しなかったこと等様々な要因がありますが、インカのあまりに発達した政治システムが裏目に出たのも事実です。
帝国内に網の目状に張り巡らされたインカ道は、リマ~クスコ間を早馬で3日で移動できるほど整備されたものでした。
また、その沿線に置かれた食糧備蓄庫には、税として徴収された農作物が豊富に蓄えられていました。
しかしそれらのシステムは、皮肉にもスペイン軍に利用され、彼らの侵略をより容易にしてしまったのです。
より効率よく、より便利に。
世の中がそれを求めて変化することにこれまで何の疑問も感じませんでしたが、それはもしかしたら危険なことなのかもしれません。
強固な城壁がたった一つのヒビから崩れ去るように。
な~んか不穏な〆になっちゃってごめんね。
マチュピチュまで行ってこんな不吉なこと考えてた訳じゃないよ。
現地行ったらね、その圧倒的な美しさに、思考回路なんかストップしちゃうんだから☆
石切り場の座イス岩に座って考えてたことと言えば、
『人間って、親指もう一本あった方が
便利なんじゃないんかな~』
ぐらいです(笑
ではまた次回!
オリャンタイタンボ駅からマチュピチュ駅までは、こ~んな素敵な列車で向かいます。


天井もガラス!いい景色!
(日が照ると暑かったけど)
マチュピチュ村(旧名アグアス・カリエンテス)は温泉郷のような佇まい。
実際温泉も出てるんですよ!

このあたりは、山のフォルムがすごいんです。
もうね、断崖絶壁!


あ!エッセイストモードが出てきた!
◆◇◆
頭上には、垂直かと見紛うほど峻険たる山々。
眼下には、岩を削らんとばかりに逆巻く渓流。
深山幽谷とはこのことである。
麓の村からマチュピチュ遺跡まではバスで約三十分、探検家ハイラム・ビンガムの名を冠した道をゆく。
つづらの道を十三たび折り返して辿り着いたその遺跡は、天空城の名に違わぬ威容を我々に見せてくれた。
◆◇◆
ちょっと短めにまとめといたよ!
まぁ、そんなこんなでマチュピチュ遺跡に着いた訳ですよ。
遺跡で最初にお出迎えしてくれたのは、リャマさん達。


長~い階段をひいふう言いながら『見張り小屋』まで登ると……、
!!!


これぞマチュピチュ!といった光景が目に飛び込んできました。
旅行記や海外旅行パンフレットで何回も見てきた構図ですが、実際に見るとまた印象が違いました。
きっと周囲の険しい山々や、時折視界を覆う雲と霧、温度や湿度、達成感なども関係していたからだと思います。
とにかく、嬉しくてしょうがなかったです!!
あと、私が写ってる写真の構図が素晴らしすぎると思いません?
カメラに慣れていない地元の人に写真を撮ってもらうと、上手じゃないことが多いし、カメラを持って行かれちゃう危険性に備えてなければいけません。
でもね、いいカメラを持ってる旅行者はちゃんと写真を撮ってくれるってことに気付いて、最近はそういう人にお願いするようにしています。
昔は首からカメラ下げてるのは日本人旅行者のステレオタイプみたいに言われてたけど、今は欧米人の方がバシバシ写真撮ってますね。
閑話休題、ウキウキした気分のまま、自由に遺跡内を回ります。
住居?穀物庫?のようなエリア。


中央部の石組みが、コンドルに見えるってガイドブックに書いてあったけど。

手すりの下は断崖絶壁!

超急勾配の段々畑。

マチュピチュは、農業試験場としての一面もあったんですって。
石切り場に座イスのような形の場所を見つけ、小1時間ひなたぼっこ。

お、露点が目に見える!

緻密に組み立てられた建物、暦を正確に読み取った日時計、日当たりを計算して作物を植え分けた段々畑。
こんなに険しい山の上に、これだけ精巧な都市を作り上げたインカ帝国の技術力に舌を巻くと共に、その滅亡へのプロセスに大きな悲哀を感じます。
フランシスコ・ピサロに率いられて南米大陸を南下してきたスペインの征服者たちは、わずか168名の兵士と1基の大砲という兵力で広大なインカ帝国を制圧しました。
それ以前から伝染病などにより帝国が弱体化していたこと、帝国の戦闘法がスペインの近代的な戦闘法に通用しなかったこと等様々な要因がありますが、インカのあまりに発達した政治システムが裏目に出たのも事実です。
帝国内に網の目状に張り巡らされたインカ道は、リマ~クスコ間を早馬で3日で移動できるほど整備されたものでした。
また、その沿線に置かれた食糧備蓄庫には、税として徴収された農作物が豊富に蓄えられていました。
しかしそれらのシステムは、皮肉にもスペイン軍に利用され、彼らの侵略をより容易にしてしまったのです。
より効率よく、より便利に。
世の中がそれを求めて変化することにこれまで何の疑問も感じませんでしたが、それはもしかしたら危険なことなのかもしれません。
強固な城壁がたった一つのヒビから崩れ去るように。
な~んか不穏な〆になっちゃってごめんね。
マチュピチュまで行ってこんな不吉なこと考えてた訳じゃないよ。
現地行ったらね、その圧倒的な美しさに、思考回路なんかストップしちゃうんだから☆
石切り場の座イス岩に座って考えてたことと言えば、
『人間って、親指もう一本あった方が
便利なんじゃないんかな~』
ぐらいです(笑
ではまた次回!












