不登校する子どものキモチ 2014 | にじいろパレット*スタッフNのブログ

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不登校経験のある子どもを持つ母のブログです。
恵那市で生きづらさを抱えたお子さんの居場所づくり活動や親の会を行っています。

「不登校・学びネットワーク東海」主催のシンポジウム
”不登校する子どものキモチ”
に行ってきました。昨日までは、旦那は仕事だし、子どもたちに留守番させて名古屋まで出かけることに不安を感じていて、行くのをやめようと思っていました。が、昨晩、「実は行きたいんだけど・・・」と子どもと旦那に相談してみたら、「行っておいでよ。こっちは大丈夫だから。ちゃんと3人で留守番できるから。」と言ってくれたので、行けることになりました。
それでも、帰宅が遅くなってはいけないと、第一部だけにしました。
 
第一部は「不登校経験者の話を聞く」でした。
 
四名の不登校を経験された20~30代の方々のお話を伺うシンポジウムでした。
それぞれの自己紹介の後、「不登校になったきっかけ」や「親や家族の自分への接し方」、「学校の話題に触れられた時のキモチ」、「勉強についてどう思っていたか」、「勉強をするようになったきっかけ」、「将来の夢」などをそれぞれの方が、当時を振り返りながら、また現在の心境をお話してくださいました。
 
特に、お話のなかでキーワードとなったのは「罪悪感」についてでした。4名とも、学校へ行かないことへの「罪悪感」はずっと持ち続けていたそうです。
「学校へ行かない」という選択は、本人が心から望んで選択しているのではなく、そういう選択をせざるを得ない状況だということだと思います。
 
学校に安心で安全な居場所がなかったら、行きたくても行けない。
自分を認め、受け入れてくれる場所がなかったら(人がいなかったら)、行けない。
 
だけど、学校はほとんどの子どもたちが、当たり前のように行く場所。義務教育の小中学校には行かなければいけないと思っている。そこに、自分は行けない、行かないという状況は「悪いこと」「ダメなこと」だと、どの子も感じているのだと思います(うちの息子も)。
行けないから休んで家にいるのだけれど、やはり「罪悪感」は消えない。
学校は休んでいるけど、「罪悪感」に苦しめられていて、心は休まっていないのでしょうね。
 
多くの方が、「放っておいてほしかった。」、「好きなことをやらせてもらってありがたかった。」、「昼間は親がいなくて自由でよかった。」とお話されました。
敏感なココロはちょっとした周りからの刺激に責められ、「罪悪感」が膨らんでしまうのではないでしょうか。
 
今日、お話を伺った方々は、皆さん「高校には行きたい」と思われていたようで、それぞれのペースで受験勉強をされ、大学へ進学されていました。皆さん、ご自分が「進学したい」と思って行動に移されたとのこと。
 
うちの息子は中1。今は全く勉強に気が向きません。でも、「勉強はしておいたほうがいい」とは思っているそうで、「高校にも行きたい」と思っているそうです。気長に待っていようかと思いました。
 
大人にとって、子どもに教育を受けさせることは「義務」だが、子どもにとっては「教育を受ける権利」だと、一人の方がお話されました。だから、学校に行かないことは「罪」ではないのだと。
 
また、ある方は「学校へ行かなくなって、学校での友だちとはつながりがなくなったけれど、学校以外の社会に関わることができた。学校以外の社会もありでしょ。と思えるようになった。」とお話されました。今の友だちは、みんなそれぞれ好きなことをやっていて、それに合わせるのも合わせないのも自分の自由。年齢が違っていたり、立場が違っていても、本音で語り合える心地よさがあるというようなことを言われ、素敵な生き方をされているなぁと感じました。
 
今日、お話しおてくださった4名の方々は、皆さんフリースクールや適応指導教室、オルタナティブスクールなど、学校以外の自分の居場所を経験されていました。学校以外の場所に行くことで「罪悪感」は少し軽くなったということでした。
 
当事者の方々のお話は、ホントに心強く感じました。息子には息子なりの生き方があって、それが周りの同級生の子たちと違っていてもいいんだって、励まされました。
みんなと同じように学校へ行けなくても、学べることはあるし、体験できることはある。みんなができないことを息子はやらせてもらっていて、悩んで苦しんで闘っている。ってこと。私は、やっぱり「大丈夫だよ。」って見守って行きたいな。
思い切って聞きに行ってよかった。
 
長くなりました。最後まで読んでくださってありがとうございました(*^^*)