不登校する子どものキモチ | にじいろパレット*スタッフNのブログ

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不登校経験のある子どもを持つ母のブログです。
恵那市で生きづらさを抱えたお子さんの居場所づくり活動や親の会を行っています。

10月20日(日)のシンポジウムの報告です。
 
石井志昂さんの講演より
 
子どもが不登校になった時の心配事。
 
「学力」について
やる気になればいつでもできる。
やりたいことが見つかったとき、その現場で身につけることができる。
今の社会で、どのレベルの学力があれば大丈夫かというものでもない。
 
「社会性」について
最も身近で、小さな社会は家族。
その家族が信頼できなかったら、その先の社会は信頼できない。
 
大切なのは、絶対的に安心できる関係があること。
どういう対応をしてほしいかではなく、そのままに生きていていい。という思いが伝わること。
 
石井さんご自身は、中2で不登校になり、母親との関係も不安定だったようです。
18歳の時、母親が突然、自分を出産したときのことを話し始め、今の自分を肯定してもらえたと感じることができた。そして、母親も変わり、今の自分がある。と話してみえました。
 
講演では、具体的に不登校になった経緯や周りに対する思い、お母様からの話の内容も聞くことができました。
その中で、石井さんは
「僕が母親から出産時の話を聞いて、今のこういう活動をしている自分があるからといって、出産時の話をすればいいという事ではないんですよ。それはその人、その親子、その家庭によって違うと思うんですね。」
というようなことをおっしゃりました。
そのとおりだと思いました。
 
きっと石井さんのお母様は、母親として何年も苦しい思いをされて、何かを吹っ切って覚悟をして石井さんにこの話をされたんだと思うんです。それは、何年も苦しまれたからこそ話せる内容であり、思いが詰まっていたのでしょう。だから、それが石井さんの心に深く響いたのだと思います。
 
石井さんは東京シューレに通学し、不登校新聞(Fonte)のスタッフになり、現在はFonteの編集長としてご活躍されています。
 
 
講演会の後、石井さんの司会で、4人の不登校経験者の方が不登校当時に感じていたこと、きっかけ、今思うことなどをお話してくださいました。
小学生の頃から不登校していた彼(彼女)らが言う、「勉強は必要となったときにできるから大丈夫。」という言葉や、「自分のやりたいことを学びたかったから大学へ進学しようと思った。」という言葉は、心強く感じました。
 
 
自分の子どもを見ていても、今、職場で関わっている教室へ入れない子どもたちを見ていても、「タイミング」というものを感じます。
動き出すためには「機が熟す」必要があり、熟した時が動き出す「タイミング」だと思います。
うまく言葉では説明できませんが、「子ども達が動き出すタイミングを待って、背中をそっと押してあげられたら。」と思います。
そのためには、今の子どもの状況を子どもの立場で理解することかな?
 
できているとは言えませんが、心がけていきたいと思っています。