うんでくれて、うまれてくれてありがとう | にじいろパレット*スタッフNのブログ

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不登校経験のある子どもを持つ母のブログです。
恵那市で生きづらさを抱えたお子さんの居場所づくり活動や親の会を行っています。

「うまれる」                イメージ 1
という映画を観てきました。
 
両親の不仲や、虐待を受けた経験から      
自分たちが子どもを生み、育てることに
不安を抱えながらも新しい命を授かり、
誕生の日を迎えた夫婦。
 
出産予定日当日の朝、
お腹の中で我が子を失ってしまった夫婦。
 
子どもを望み長期の不妊治療続けたものの、
授からない人生を選択した夫婦。
 
生まれてくることもキセキだと言われる染色体異常で生まれ、
いつまで命が続くかもわからない、完治しない障害を持つ子どもを育てる夫婦
 
そんな夫婦のドキュメンタリー映画でした。
 
大学生の頃、授業で出産の場面をビデオで見たことがありました。
その時、すごく感動というか、衝撃というか…
 
その授業が終わって、すぐに離れて暮らしていた母親に
「私をうんでくれてありがとう。」
という手紙を書いたことを思い出しました。
 
私は3人の子どもをうみました。
 
どの子も、うまれてきてくれた時
本当にうれしかった。
 
高校の保健室にいると
「先生、私は何で生きてるんだろう。」
「生きている意味がわからない。」
「生きていても意味がない。」
と、言われることがありました。
 
そんな生徒たちに、何かを伝えたくて
3人目の出産時にはビデオカメラを持って分娩室に入りました。
いつか、自分の出会った生徒たちに見せたい。
誕生の瞬間を。
 
いろんな事情があって、
離ればなれになったり、親子関係がうまくいかなかったり、
通じ合わなくなったり、、、あるかと思います。
 
でも、やっぱり生まれてきてくれたあの瞬間は
「うまれてきてくれてありがとう」
って、誰もが思っていると私は信じています。
 
私は、一人流産しています。
 
うまれてきたくても、うまれてこられなかった命だってある。
うんであげたかったけれど、うんであげられなかった命もある。
 
だから、やっぱり「うまれてきた」ということには意味があるのです。
 
私を、うんでくれてありがとう。
 私のもとに、うまれてきてくれてありがとう。