尾形亀之助詩集「色ガラスの街」より【五月の花婿/無題詩/十二月の路/五月/無題詩/美しい娘の白歯】の朗読です。
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🍋尾形 亀之助(おがた かめのすけ1900年 - 1942年)日本の詩人。
🍋宮城県柴田郡大河原町出身。東北学院普通部中退。
近代に活躍した詩人で、「歴程」の創刊同人。大河原町の繁昌院に墓がある。
石原純、原阿佐緒らの歌誌「玄土」に参加して短歌を発表しながら上京して画家を目指す。
1923年に詩に転向し、『月曜』などいくつかの詩誌を主催。
その『月曜』には宮沢賢治が童話『オツベルと象』『ざしき童子のはなし』『猫の事務所』を寄稿している。
素封家に生まれるも生涯にわたってほぼ定職を持たず実家からの仕送りで生活し、詩に没頭するという無頼の人生を送った。
晩年は実家の没落により窮乏。貧困と病苦、妻との不和に悩まされ失意の日々を過ごした。
1942年12月2日、手押しの寝台車で宮城県仙台市の尾形家の持家である空き家に運ばれた後、全身衰弱のため死去。
日頃から餓死自殺願望を口にしており、自殺であったという説もある。
辻まこと(辻潤の子)は北支の戦地でも限定70部の尾形の詩集を肌身離さず持ち歩き、日本に持ち帰ったという。
五月の花婿
青い五月の空に風が吹いてゐる
陽ざしのよい山のみねを
歩いてゐる ガラスのきやしや[#「きやしや」に傍点]な人は
金魚のやうにはなやかで
新ら[#「ら」に「ママ」注記]しい時計のよ[#「よ」に「ママ」注記]うに美く[#「く」に「ママ」注記]しい
ガラスのきやしや[#「きやしや」に傍点]な人は
五月の気候の中を歩いてゐる
無題詩
ある詩の話では
毛を一本手のひらに落してみたといふのです
そして
手のひらの感想をたたいてみたら
手のひらは知らないふりをしてゐたと云ふのですと
十二月の路
のつぺりと私をたいらにする影はいつたい何です
蝶のかげでせうか
それとも 少女の微笑なのかしら
晴れた十二月の路に
私のかげは潰されたよりずつと平らです
五月
或る夕暮
なまぬるい風が吹いて来た
そして
部屋の中へまでなまぬるい風が流れこんできた
太陽が――馬鹿のよ[#「よ」に「ママ」注記]うな太陽が
遠くの煙突の所に沈みかけてゐた
無題詩
から壜の中は
曇天のやうな陽気でいつぱいだ
ま昼の原を掘る男のあくびだ
昔――
空びんの中に祭りがあつたのだ
美しい娘の白歯
うつかり
話もしかけられない
気むず[#「ず」に「ママ」注記]かしやの白い美しい歯なみは
まつたく憎らしい
底本:「尾形亀之助詩集」現代詩文庫、思潮社
1975(昭和50)年6月10日初版第1刷
1980(昭和55)年10月1日第3刷
入力:高柳典子
校正:泉井小太郎
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