🌼青空文庫の新着、中野鈴子「五十の春に1①②、五十の春に2】を朗読しました。
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五十の春に 1

からだに合わぬ体
こころに合わぬ心
胃に腹に切開手術を受け
一つの手紙もない

きのうはすでに
去年の雪と思え 消えたと思え
来年は向こうからやってくる
明日もやってくる
はじめての人も
新しい言葉も

底本:「中野鈴子全詩集」フェニックス出版
   1980(昭和55)年4月30日初版発行
底本の親本:「中野鈴子全著作集 第一巻」ゆきのした文学会
   1964(昭和39)年7月10日発行
初出:「看護技術」
   1956(昭和31)年5月号
※表題の連番は、底本編集時に与えられたものです。
入力:津村田悟
校正:かな とよみ



五十の春に 2

いまようやくここまで歩いてきたところだ
誰かが呼んだと思うときもあったが
それは空耳だった
振り返って返事をしているわたしに
呼び止めたと思った人は気のつかぬ如く
とっとっと先の方を歩いて行った
わたしは一人とぼとぼここまでたどりついた
花の咲く頃には却って身を細くして
自動車をよけるような恰好になったものだ
ようやくここまでたどりつき
山道にさしかかったところだ
この山道を入ってゆくと道が分からないようにもなったり
高い崖や 危うい海岸へ出るようなことがあるかも知れない

誰もわたしを呼び止めないように
もう返事をするひまもない

底本:「中野鈴子全詩集」フェニックス出版
   1980(昭和55)年4月30日初版発行
底本の親本:「中野鈴子全著作集 第一巻」ゆきのした文学会
   1964(昭和39)年7月10日発行
初出:「現代詩」
   1956(昭和31)年9月号
※表題の連番は、底本編集時に与えられたものです。
入力:津村田悟
校正:かな とよみ


🌼中野 鈴子(なかの すずこ、1906年(明治39年)1月24日 - 1958年(昭和33年)1月5日)は、日本の詩人。

🌼経歴
福井県坂井郡高椋村(現在の坂井市丸岡町)一本田に生まれた。作家、政治家の中野重治は次兄。坂井郡立女子実業学校(現福井県立三国高等学校)を卒業、郷里で2度望まない結婚をし、2度離婚を勝ち取った。

🌼1929年4月、中野をたよって上京。1930年、検挙された小林多喜二の救援活動の中心を、原泉や村山籌子とともに担った。この活動を通して第一線のプロレタリア詩人として成長し、1931年日本プロレタリア作家同盟に加入した。
1932年1月、宮本百合子編集長のもとで『働く婦人』編集部員となり、昭和東北大凶作取材記事を3回にわたり同誌に連載するなどの仕事をした。この間『戦旗』『ナップ』『プロレタリア文学』『働く婦人』などに詩や小説を発表した。
1936年、結核療養のため帰郷、父母を助けて農業に従事した。

🌼1949年秋、有志とともに新日本文学会福井支部を結成し、朝鮮戦争さなかの1951年4月には「戦争やめよ、県民の平和の声を発表しよう」と、文芸誌『ゆきのした』を創刊した。

🌼筆名は一田アキで、詩集に「花もわたしを知らない」などがあり、『中野鈴子全著作集』が刊行されている。

🌼一本田の生家跡に、「花もわたしを知らない」と刻まれた文学碑がある。