種田山頭火(たねださんとうか) 【赤い壺】の朗読です。
●テキスト/青空文庫(青空文庫、耕作員の皆様に心より感謝し使用させていただきます)
●人物について・本人まえがきほか出典/フリー百科事典ウィキペディア
●曲/甘茶の音楽工房 
●アーティスト/甘茶
🍓サイト表記等の利用規約を守り「甘茶の音楽工房」運営者、甘茶様に心より感謝し使用させていただきます♪
●効果音/効果音ラボ
🍓サイト表記等の利用規約を守り「効果音ラボ」運営者様に心より感謝し使用させていただきます♪
~いつもお世話になっているサイト~
🍓画像・動画
パブリックドメイン/pixabay/いらすとや/videoAC/写真・イラストAC/publicdomainq/Little Dream/600dpi/Antique public domain images/Pexels/様よりお借りし、提供者様に心より感謝し使用させていただきます♪
●声/動画編集作成/サムネ作成/こいでともか
グットボタン&チャンネル登録もお願いします。
小出朋加のナレーション・朗読チャンネルです♪

 

 


🔥1882年(明治15年)12月3日 山口県佐波郡西佐波令村第百三十六番屋敷(現・防府市八王子二丁目十三)にて、大地主・種田家の長男として生まれる
種田 山頭火(たねだ さんとうか、本名:種田 正一(たねだ しょういち)
1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日)は、日本の自由律俳句の俳人。
山頭火とだけ呼ばれることが多い。

🔥山口県佐波郡(現在の防府市)生まれ。『層雲』の荻原井泉水門下。
1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家得度して耕畝(こうほ)と改名。
各地を放浪しながら1万2000余りの句を詠んだ

🔥自由律俳句の代表として、同じ『層雲』の荻原井泉水門下の同人、尾崎放哉と並び称される。
山頭火、放哉ともに酒癖によって身を持ち崩し、師である井泉水や兼崎地橙孫ら支持者の援助によって生計を立てていた。その基因は、11歳の頃の母の投身自殺にある。

🔥「山頭火」とは納音(なっちん)の一つであるが、山頭火の生まれ年の納音は山頭火ではなく「楊柳木」である。「山頭火」は、30種類の納音の中で字面と意味が気に入った物を選んだだけであると『層雲』の中で山頭火自身が書いている。
また、「山頭」の定義には「火葬場」も含まれている。このことから、「山頭火=火葬場の火」と解釈できるという説もある。
山頭火がこの意味を意識して名前を選んだ可能性について、山頭火の母親の死との関連性が指摘されている。山頭火には「燃え上がる火山」という意味もある。

🔥30歳の頃には、ツルゲーネフにかなり傾倒し、山頭火のペンネームでいくつかの翻訳をこなしている。金子兜太によれば、山頭火の父竹治郎はツルゲーネフの父セルゲイ・ツルゲーネフに「なんとなく似ている」という。セルゲイは騎兵大佐で美男子で体格がよく、意志薄弱で好色で利に聡い上、結婚も財産目当てであった。竹治郎はセルゲイよりもお人好しではあったが、目の大きい寛容の相の人だったという。美男子で女癖が悪く、妾を幾人も囲い、政党との関係に巻き込まれてからは金使いも荒くなった。冷ややかで好色、意志薄弱という特徴はセルゲイと共通していた。

🔥山頭火は晩年の日記に「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、そこから句が生まれたような一生だった」と記している。その時には既に無一文の乞食であったが、乞食に落ちぶれた後、克明な日記をつけ続けている。その放浪日記は1930年(昭和5年)以降が存在し、それ以前の分は自ら焼却している。死後、遺稿日記が公開され、生涯の一部が明らかになった。
そこには、旅立ちにあたり「過去一切を清算しなければならなくなってゐる」(『行乞記』昭和5年9月14日)など、流浪や句作への心情が記されている



🔴赤い壺🔴

『あきらめ』ということほど言い易くして行い難いことはない。それは自棄ではない、盲従ではない、事物の情理を尽して後に初めて許される『魂のおちつき』である。

 私は酒席に於て最も強く自己の矛盾を意識する、自我の分裂、内部の破綻をまざまざと見せつけられる。酔いたいと思う私と酔うまいとする私とが、火と水とが叫ぶように、また神と悪魔とが戦うように、私の腹のどん底で噛み合い押し合い啀いがみ合うている。そして最後には、私の肉は虐げられ私の魂は泣き濡れて、遣瀬ない悪夢に沈んでしまうのである。

 私自身は私というものを信ずることが出来ないのに他人が私を信じてくれるとは何という皮肉であろう!

 遠い死は恐ろしく近い死は懐かしい。

 死を意識して、そして死に対して用意する時ほど、冷静に自己を観照することはない。死が落ちかかれば自己の絶滅であるが、死の近づき来ることによって自己の真実を掴むことが出来る。

 悪魔の手は掴もう掴もうとしている。それだけでも悪魔の心は親しいものではないか。

 結婚して後悔しないものが何人あるか、親となって後悔しないものが何人あるか。――私も亦、その何人の中の一人であることを悲しむ。

 最初には酔覚の水がうまくて水を飲んでいたが度々飲み続けているうちに、水そのものを味わい飲むようになった。そして水を飲まずにはいられないようになった。

 彼が真実を主張したとき、彼の周囲の人々は同意し讃嘆した。しかし彼が進んで真実を実行したとき、人々は怒罵し嘲笑した。斯くして彼は彼の周囲から永久に別れてしまったのである。

 強者は破壊する、弱者は弥縫する。強者は創造する、弱者は模倣する。

 すべてに失望した人――生きていても詰らない、死ぬるのも詰らないと思う人は再び官能の陶酔に帰って来る。そして野良猫が残肴を漁るように、爛れた神経の尖端で腐肉の中を吸いまわる。彼は闇にうごめく絶望の影である。しかも彼は往々にして――若しも彼が真摯であるならば――そこで『神の子を孕める悪魔』を捉えることがある。

 遊蕩児にただ一つ羨ましい事がある。彼は歓楽の悲哀――それは恐らく遊蕩児のみが味わい得る――『泣笑』とでも呼びたい情趣を色読している。

 地獄から来た男は走らない、叫ばない。黙って地上を見詰めつつ歩む。

 歓楽に誘惑がある如く、苦痛にも魅力がある。生存がただ苦痛であって、そして死を恐れない人がその儘生きているのは、屡々、生存慾のためよりも苦痛の底の甘味を解している故である。
(「層雲」大正五年一月号)

底本:「山頭火随筆集」講談社文芸文庫、講談社
   2002(平成14)年7月10日第1刷発行
   2007(平成19)年2月5日第9刷発行
初出:「層雲 大正五年一月号」
   1916(大正5)年1月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす