尾形亀之助詩集「色ガラスの街」より【春/天国は高い/私は待つ時間の中に這入つてゐる/春の街の飾窓/犬の影が私の心に写っている】の朗読です。
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「春」
私は椅子に坐つてゐる

足は重くたれて
淋び[#「び」に「ママ」の注記]しくゐる

私は こ[#「こ」に「ママ」の注記]うした私に反抗しない

私はよく晴れた春を窓から見てゐるのです


「天国は高い」
高い建物の上は夕陽をあびて
そこばかりが天国のつながりのよ[#「よ」に「ママ」の注記]うに
金色に光つてゐる

街は夕暮だ

妻よ――
私は満員電車のなかに居る


「私は待つ時間の中に這入つてゐる」
ひつそりした電車の中です
未だ 私だけしか乗つてはゐません

赤い停車場の窓はみなとざされてゐて
丁度――
これから逢ひにゆく友が
部屋のなかに本を読んでゐるのですが
煙草を吸ふことを忘れてゐるので何か退屈そ[#「そ」に「ママ」の注記]うにしてゐます


「春の街の飾窓」
顔をかくしてゐるのは誰です

私の知つてゐる人ではないと思ふのですが
その人は私を知つてゐさうです

―――――――

「犬の影が私の心に写つてゐる」
明るいけれども 暮れ方のやうなもののただよつてゐる一本のたて[#「たて」に傍点]の路――
柳などが細々とうなだれて 遠くの空は蒼ざめたがらすのやうにさびしく
白い犬が一匹立ちすくんでゐる

おゝ これは砂糖のかたまりがぬるま湯の中でとけるやうに涙ぐましい

×
私は 雲の多い月夜の空をあはれなさけび声をあげて通る犬の群の影を見たことがある

底本:「尾形亀之助詩集」現代詩文庫、思潮社
   1975(昭和50)年6月10日初版第1刷
   1980(昭和55)年10月1日第3刷
入力:高柳典子
校正:泉井小太郎

【人物について】
🍋尾形 亀之助(おがた かめのすけ1900年 - 1942年)日本の詩人。
🍋宮城県柴田郡大河原町出身。東北学院普通部中退。
近代に活躍した詩人で、「歴程」の創刊同人。大河原町の繁昌院に墓がある。
石原純、原阿佐緒らの歌誌「玄土」に参加して短歌を発表しながら上京して画家を目指す。
1923年に詩に転向し、『月曜』などいくつかの詩誌を主催。
その『月曜』には宮沢賢治が童話『オツベルと象』『ざしき童子のはなし』『猫の事務所』を寄稿している。
素封家に生まれるも生涯にわたってほぼ定職を持たず実家からの仕送りで生活し、詩に没頭するという無頼の人生を送った。
晩年は実家の没落により窮乏。貧困と病苦、妻との不和に悩まされ失意の日々を過ごした。
1942年12月2日、手押しの寝台車で宮城県仙台市の尾形家の持家である空き家に運ばれた後、全身衰弱のため死去。
日頃から餓死自殺願望を口にしており、自殺であったという説もある。
辻まこと(辻潤の子)は北支の戦地でも限定70部の尾形の詩集を肌身離さず持ち歩き、日本に持ち帰ったという。