🌹大手拓次の詩集「藍色の蟇(あいいろのひき)」より創造の草/笛ふくろふの笛/くちなし色の車「(3詩)」の朗読です。
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創造の草笛

あなたはしづかにわたしのまはりをとりまいてゐる。
わたしが くらい底のない闇につきおとされて、
くるしさにもがくとき、
あなたのひかりがきらきらとかがやく。
わたしの手をひきだしてくれるものは、
あなたの心のながれよりほかにはない。
朝露のやうにすずしい言葉をうむものは、
あなたの身ぶりよりほかにはない。
あなたは、いつもいつもあたらしい創造の草笛である。
水のおもてをかける草笛よ、
また とほくのはうへにげてゆく草笛よ、
しづかにかなしくうたつてくれ。

ふくろふの笛

とびちがふ とびちがふ暗闇のぬけ羽の手、
その手は丘をひきよせてみだれる。
そしてまた 死の輪飾りを
薔薇のつぼみのやうなお前のやはらかい肩へおくるだらう。
おききなさい、
今も今とて ふくろふの笛は足ずりをして
あをいけむりのなかにうなだれるお前のからだを
とほくへ とほくへと追ひのける。


くちなし色の車

つらなつてくる車のあとに また車がある。
あをい背旗をたてならべ、
どこへゆくのやら若い人たちがくるではないか、
しやりしやりと鳴るあらつちのうへを
うれひにのべられた小砂利のうへを
笑顔しながら羽ぶるひをする人たちがゆく。
さうして、くちなし色の車のかずが
河豚のやうな闇のなかにのまれた。


底本:「世界の詩 28 大手拓次詩集」彌生書房
   1965(昭和40)年10月25日初版発行
   1981(昭和56)年6月5日7版発行
※底本では一行が長くて二行にわたっているところは、二行目が1字下げになっています。
入力:湯地光弘
校正:丹羽倫子

 

 

 

 

 

🌹「大手拓次詩集(岩波文庫)文語詩篇 まへがき」
わがおもひ尽くるなく、ひとつの影にむかひて千年の至情をいたす。
あをじろき火はもえてわが身をはこびさらむとす。そは死の翅なるや。
この苦悶の淵にありて吾を救ふは何物にもあらず。
みづからを削る詩の技なり。
されば、わが詩はわれを永遠の彼方へ送りゆく柩車のきしりならむ。
よしさらば、われこの思ひのなかに命を絶たむ。

🌹人物について
 群馬県碓氷郡西上磯部村(現安中市)、磯部温泉の温泉旅館・蓬莱館の家に生まれる。
同県の安中中学校、高崎中学校、早稲田大学第三高等予科を経て1907年9月早稲田大学文学部英文科に入学。この頃より詩を発表しはじめた。
1912年卒業。卒論は「私の象徴詩論」
卒業後しばらくは詩作のほかこれといった仕事をせず貧窮に甘んじていたが、1916年にライオン歯磨本舗に就職。
以後、生涯をサラリーマンと詩人の二重生活に捧げた。

🌹学生時代以来の左耳難聴や頭痛に悩まされ、その後もさまざまな病気で通院、入院を繰り返すなど健康状態は概して良くなく、最後は神奈川県高座郡茅ヶ崎町(現・茅ヶ崎市)のサナトリウム・南湖院で結核によって亡くなった。
戒名は大慈院英学拓善居士。

🌹生涯に書かれた詩作品は2400近くにのぼる。
作品の発表を盛んに行っていたものの、生前に詩集が発刊されることはなかった。
友人や詩壇とのつきあいに乏しく生涯を独身で通したため、彼に関する偏見や誤解は生前も死後も強かった。

🌹死後(1936年)に刊行された詩集『藍色の蟇』に寄せられた北原白秋や萩原朔太郎の文章に見られる「亜麻色の捲毛に眼は碧い洋種の詩人」「仏蘭西語の書物以外に日本語の本を殆ど読んで居ない」「永遠の童貞」などはその典型である。
『藍色の蟇』に続き、1940年に詩画集『蛇の花嫁』、1941年に訳詩集『異国の香』、1943年に遺稿集『詩日記と手紙』が刊行され、また1941年には北原白秋、萩原朔太郎、大木惇夫らによって「拓次の会」が発足するなど、彼への評価は決して低いものではなかったが、前述のような事情から彼を異端視する風潮も残り続ける。

🌹作品
詩集
『藍色の蟇』(アルス、1936年)処女詩集。
本人による同名の186篇の自選詩稿を元に255篇の選集として死後に刊行された。
『蛇の花嫁』(龍星閣1940年) 詩画集。
『異国の香』(龍星閣1941年) 訳詩集。