八木重吉の詩集【貧しき信徒】より、「壁/私/花/冬/不思議/かなしみ/草をむしる/雨の日/虫/あさがお/萩/西瓜をくおう/春」を朗読しました。

 

 

●テキスト/青空文庫(青空文庫、耕作員の皆様に心より感謝し使用させていただきます)
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【貧しき信徒】
「壁」
秋だ
草はすっかり色づいた
壁のところへいって
じぶんのきもちにききいっていたい

「私」
ながいこと病んでいて
ふと非常に気持がよいので
人の見てないとこでふざけてみた

「花」
おとなしくして居ると
花花が咲くのねって 桃子が言う

「冬」
木に眼が生って人を見ている

「不思議」
こころが美しくなると
そこいらが
明るく かるげになってくる
どんな不思議がうまれても
おどろかないとおもえてくる
はやく
不思議がうまれればいいなあとおもえてくる

「かなしみ」
かなしみと
わたしと
足をからませて たどたどとゆく

「草をむしる」
草をむしれば
あたりが かるくなってくる
わたしが
草をむしっているだけになってくる

「雨の日」
雨が すきか
わたしはすきだ
うたを うたおう

「虫」
虫が鳴いてる
いま ないておかなければ
もう駄目だというふうに鳴いてる
しぜんと
涙がさそわれる

「あさがお」
あさがおを 見
死をおもい
はかなきことをおもい

「萩」
萩がすきか
わたしはすきだ
持って 遊ぼうか

「西瓜を喰くおう」
西瓜をくおう
西瓜のことをかんがえると
そこだけ明るく 光ったようにおもわれる
はやく 喰おう

「春」
雀をみていると
私は雀になりたくなった

底本:「八木重吉詩集」白凰社
   1969(昭和44)年9月20日第1刷発行
入力:j.utiyama
校正:丹羽倫子

「作品の特徴」
●短い詩が多いのが特徴であり、103篇をおさめた『貧しき信徒』には、10行を超えるものは2つしか見られない。
中には「木に眼が生つて人を見てゐる」(冬)
「神様 あなたに会ひたくなつた」(無題)のような一行詩もある。

●「人物について」
詩の中では、時として詩作さえも罪悪だと考えると告白するものの
「詩をつくることをすててしまふなら/あまりにすきだらけのうつろすぎるわたしのせかいだもの」という理由で、「歯をくひしばって泣くまいとしてうたをうたふ」のだと書いた作品を残している。
「私の詩(私の詩をよんでくださる方へささぐ)」という未発表詩のなかでは、自分の詩は「必ずひとつひとつ十字架を背負ふてゐる」と主張する。
幼少の頃から、おとなしく孤独を感じさせる面があったとされる。
『秋の瞳』の序文には
【私は、友が無くては、耐へられぬのです。しかし、私には、ありません。この貧しい詩を、これを、読んでくださる方の胸へ捧げます。そして、私を、あなたの友にしてください。】
と記した。
梯久美子は、重吉が終生抱えた「寂しさ」を「宿痾(しゅくあ)であり、同時に詩人としての天賦の才でもあった」と評し、妻のとみを「その孤独に寄り添ったただひとりの人」だと記している

●早世の詩人
1898(明治31)2月9日、東京府南多摩郡堺村(現在の町田市)に生まれ、東京高等師範学校に進む。在学中、受洗。卒業後、兵庫県御影師範の英語教師となる。
24歳で、17歳の島田とみと結婚。
この頃から、詩作に集中し、自らの信仰を確かめる。
1925(大正14)年、第一詩集『秋の瞳』刊行。
以降、詩誌に作品を寄せるようになるが、1926年、結核を得て病臥。
病の床で第二詩集『貧しき信徒』を編むも、翌1927(昭和2)年10月26日、刊行を見ぬまま他界。
『貧しき信徒』は翌年、出版された。生年1898-02-09 没年1927-10-26

●作品について
八木重吉の処女詩集。
1922(大正11)年7月の結婚を機に、詩作に専心しはじめた著者は、稿を編んで手作りの詩集にまとめていく。
手書きした画用紙は、夫人の手によって「色とりどりのリボンで綴じ」られた(田中清光「解説 魂の声の表出へ――『秋の瞳』の前後」、ちくま文庫『八木重吉全詩集1』所収)。
以来、1924(大正13)年秋までにまとめた千篇から、117篇を選び、推敲を重ねて本書が編まれた。平明な言葉で、〈若さ〉という難敵との格闘の跡が綴られている。
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