2、無謀な旅のはじまり
2010年4月16日。
人生初のホームステイから始まった今回の遊学旅行は、あまり好調なスタートとはいえないだろう。
ゴールドコーストはバーリーヘッズという、岬にほど近い富裕層の暮らすまちにその家はあった。
早朝、韓国経由でオーストラリア入りした飛行機はブリスベン空港に到着していた。
前もって空港からホームステイ先までの送迎をエージェントに依頼しておいた私は、入国審査と手荷物検査を無事に通過すると空港内の見取図を確認しながら待ち合わせ場所へといそいだ。
迎えに来てくれるというエージェント社長サイトーさんとはEメールでのやり取りをしただけでもちろん初対面である。
色ぐろの丸坊主頭を目印に!と聞いてはいたが、空港出口付近にいる人々を見わたせば、なるほど恰幅のよい褐色のスキンヘッド男ばかりであった。
その顔ひとつひとつをアジア顔であるかどうか確認するのも気が引けた。
はたしてそのひとを見つけられるだろうかと不安だったが、そのひとが 「ともみ様」 と書かれた紙を首から下げていてくれたおかげで助かった。
ブリスベンからゴールドコーストまでは、車をとばせば小一時間でつくという。
サイトーさんは私を無事この家まで送りとどけ、ホストマザーに引き合わせるとすぐに帰ってしまった。
ひとり残された私は、その時になりようやく自分の無謀さに気がついたのである。
なぜならば、「ヘロー ナイストゥ ミーチュー」 この初めましての挨拶以外、私の脳には何ひとつ英会話の知識が貯蓄されていなかったからだ。
はて、これからこの家族とどのようにコミュニケーションをはかろうか。
しっかりしろともみ。
中、高あわせても六年間は英語を学習してきたはずではないか。
ハリウッド映画の吹きかえ版だってあまり好きではない。
役者のほんとうの声を聞きたいと、通(ツウ)ぶって字幕版しか見なかったではないか。
それらが今これっぽっちも役立っている気がしないのはなぜだろう。
思いかえせば学生の頃、勉強といえばテスト前の丸暗記だけで、映画にしても日本語字幕ばかりを目で追っていたような気がする。
一年も前に渡豪を思いついたにもかかわらず、どういうわけか私は中国語に夢中だった。
なぜ英語というものに微塵も興味を示さなかったのか疑問である。
しかし、そんなことを自問自答していても始まらないではないか。
たとえ、ことばが通じなくともやるしかないのだ。
そして私には、その場をうまくきり抜ける昔からの得意わざがあった。
いや、何もむずかしいことではない。
空気を読んで、笑顔!
ただそれだけのことである。
つづく
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