今朝ご存知の通りこんなnet記事があった
”windows10ついに冷蔵庫のドアになって登場”
見出しをみて瞬時に過ぎった感覚を書き留める
まず良い試みだという印象を受けた
先進国に生きる私の世の中では生活の中に必須となってしまったものはとても多い。
(主に家電ではないだろうか)
その中でどうしても無駄な容積が存在してしまう、
それが機能ではないのだけれどこれだけの面積ができてしまう。
ものが増えすぎた今こそ、そういう空いてる部分を見つける事に価値が生じる可
能性が高いのかと。
他の商品の機能を使い勝手を維持しながら他の商品に移植できれば。
物が減り、居住スペースは広がり、それぞれにかかる生活時間やコストは合理化
される。
必要なものがたくさんある我々には今こそそういう価値に惹かれるのではないか。
記事を読みながら画像を見ればおっきな冷蔵庫のドア一面がwindows10なので
ある。
メタリックでなかなか美しい仕上がりをしている。
そして私はとても複雑な気持ちになったのである。
冷蔵庫の右上に小さくLGと書かれていた。
世界を圧制していた日本家電事業のほとんどが衰退、売却され、見るも無残。
このwindows付冷蔵庫が冷蔵庫の標準となるまでのヒットとなるか、
そこまで生活に馴染むアイデアであるのかは全くわからないし、
子供じみた発想で終わるのかもわからない、
しかし私が良いと思うのは、”チャレンジしている””実際に仕上げてみた”という
事実なのだ。
世の中何がヒットし受け入れられるかなんてどんな専門家でも100%予測でき
る人は決していない。
これはどうか。と思うことをひたすらに繰り返しやってみる事をあきらめない中
でたくさんの中から
1つヒットが生まれるのではないか。
昭和のソニーは、部署の縦割りなく自由なモノづくりが当たり前のように許され
ていた。
倉庫には思い思いなアイデアと試作品であふれていた、
ずっと眠っているアイデアも一つ時代ごとの技術を得たとたんに価値を生む場合や、
それぞれが合わさって価値を生んだ場合もあった。
世界で最初に音楽を持ち歩く事を人類の文化にしたウオークマンもそうやって誕
生したのだ。
しかし会社やモノ作りが成熟するにつれ、部署ごとの話し合いですら許可が必要
となったり、
自由なモノづくりが許されなくなったりしていった。
ソニーはウオークマンで世界に携帯音楽文化を作り、アップルよりずっと先に
mp3音楽再生を商品化していたにもかかわらず、
世界の携帯音楽プレーヤー市場をアップルに持っていかれたのである。
同じく携帯化が進んだ電話との融合に直感を得ることができなかったからだ。
私は今日の記事の見出しを見て瞬時にその事実と日本モノづくりの停滞を想った。
この冷蔵庫が売れるかが問題ではない、やってみたところに意味があるのだと。
やってみて初めて改善点がわかる、違うアイデアだって見つかる。
ヒットはその先にあるのだと私は思う。
