もう、あの時から1ヶ月が経った。
仕事でもプライベートでも最も僕を理解してくれていた親友の一人S君が向こうの世界に逝っているとは今でも実感がありません。
どこか海外旅行にでも行っているんじゃないか?もうすぐ土産話と一緒にいつもの笑顔で僕の前に現れんるんじゃないかと思ってしまいます。
あれから2日に1回くらのペースでS君が夢に出てくる。
僕は、残された奥さんと1歳半の娘さんをどうやってフォローして行けばいいのだろうか。
あの時、S君が奥さんと携帯電話で最後に話をしたのは午前11時頃と聞いている。友達の消防士F君が奥さんから連絡をもらい探し出した昼の3時頃には、死後硬直が始まっていたらしいので、奥さんとの電話の後にすぐ逝っているのかと思われます。
僕は、その日なぜか朝早くにすっと目が覚め、いつもとは全く違う感覚で海に向いました。まるで、S君が僕に最後の挨拶をするために呼び起こしたかのように。
その日の朝5時半に起き、車で1時間くらのサーフスポートへ行きました。1時間半くらいサーフィンをして午前10時から区の総会に参加しなければならなかったので、着替えてすぐ帰ろうとしていました。海から上がり、いつになくウエットスーツが脱げずに四苦八苦し、やっと着替えが完了し、ふと顔を上げると、駐車スペースを探しながら目の前を車で横切るS君を偶然見つけ、大きく手を振り呼び止めました。
車の中からは浜田省吾がいつものようにかかっていました。
S君:「おはよう。T君めずらしいな。もう帰ると。」
僕:「おはよう。俺今日が今年初サーフィンバイ。もう帰らんといかん。」
S君:「俺も今年2回目バッテンね。ほんじゃ向こうの方に車とめるから。」
あの時偶然見つけなければ、百台くらいの満車状態からS君を見つけることはできずに、帰ってしまっていたのだろうと思います。
S君は駐車場の一番奥の端っこに車を止めていました。
僕は10分くらいS君と話をしました。
あの時のS君との会話は今でもはっきりと覚えています。
S君が前の日に起きた母親と幼児の自損事故で幼児が亡くなったことに、家族の不幸を察していたことから話が始まりました。
S君 : 「昨日の母親と子供の交通事故聞いた?」
僕 : 「知っとうバイ。あれむごいね。」
S君 : 「あの事故は子供も亡くなってかわいそうやけど、母親も一生後悔しながら生きていかんといけんからきついよね。」
僕 : 「ほんと、俺たちも人事やないけん、気をつけんとね。S君の車はチャイルドシートつけとると?」
S君 : 「つけとーけど、車の中に置いとるだけやね。乗らんけんね。」
僕 : 「俺ンちもそうやったね。」
S君 : 「波はどんなやった?」
僕 : 「水が冷てーバイ。波はセットでコシくらいバッテン、トロイね。でもS君は今日ロングやけん、まー大丈夫やろ」
S君 : 「ブーツ履いたほうがいいかね。」
僕 : 「ちょっと水が冷たいけん、ブーツあるなら履いたほうがいいんやない。でも、俺は履いてないけど、あったらあったで暖ったかいとおもうけどね。でもめんどくせーよね。」
S君 : 「俺のブーツ破けとるけんあんまり意味ねーもんね。」
僕 : 「ほんなら、ないほうがいいんじゃねー。サーフィンしにくいやろうけん。」
S君 : 「どのへんがいーとやろか?」
僕 : 「右の方は人が多いけん、センターの奥がいいんやない?」
S君 : 「そーね。そしたらそのへんでしよっかね。」
僕 : 「この車、雨がふったら大変やねーと。上にボード積んだら車よりボードの方が長ぇーんやねーと」
S君 : 「あー、たぶんそうやね。ほんとめんどくせーバイ。積んでくくりつけて、またおろして、しゃーしいもんね。」
僕 : 「雨の日は後のハッチが小さいけん、着替えるときにぎりぎり濡れんくらいやろ?」
S君 : 「雨の日はめんどくさいけど、しかたがない。嫁が車の運転するようになるけん、これくらいの小さめの車じゃねーと乗りきらんけんね。」
僕 : 「そろそろ帰らんといけん。区のしょーもねー総会があるんやけど、出らないけん。」
S君 : 「T君も大変やねー。今日は家族サービスはいいと?」
僕 : 「その後やね。嫁さんの機嫌がいい日と波が立っとう日がなかなか重ならんけん、しんどいんよね。」
S君 : 「まーそれが普通やろうけどね。」
僕 : 「ほんじゃ、そろそろ帰るけん。またね。」
S君 : 「ほんじゃね。」
僕 : 「気を付けてね。」
とこういう会話をして、「気を付けてね」が僕の言った最後の言葉となってしまいました。
僕は、その時「気を付けてね」という言葉に違和感を感じたものの、僕は振り返らなかった。
普段は言わない言葉を最後に口にしたときに、「なんで俺、気を付けてね。とかめずらしいこと言いよるんかな」と思いながらも、そのまま車に乗り込み帰ってしまったのです。
あの時、僕の中にはその後に起きることを少しだけ感じ取っていたのかもしれません。
もっと、強烈に察しておけば、総会をドタキャンしてでも待っていたのかもしれない。そうであれば、一緒に帰っていれば、亡くなることも、もしかしたらなかったのかもしれない。そう思うと、悔しくてしかたがありません。
後で仲間が集まった時に、S君と中学の時からの大親友K君も、S君が亡くなる前の日はその日だけ夜中に胸がものすごく痛かったと言っていました。次の日のS君が亡くなった日もKクンは宮崎の海でサーフィンをしていて額を怪我していたみたいで、K君にも見えない何かが働いていたのではないかと思います。
S君を見つけた消防士のF君も、海までのいくつものルートを隈なく探したのに、全く見つからず、あきらめようとした時に最後にめったに通らないルートが頭をよぎり、念のために行ってみようとおもい、バイクを走らせたら、路肩に止めたサーフボードを積んだ車を見つけて、慌てて心臓マッサージをしたりしたけど、手遅れだったと言っていました。
その時もS君は自分を見つけてくれるようにF君の心になんらかのエネルギーを送ったのではないかと思います。僕らの仲間では万一の時はF君が一番頼りになる存在と常日頃から言っていたからかもしれません。
その日は天気も良くて、僕は総会のあと家族で公園に花見をしに行っていました。
S君のことをF君とその兄H君が探しているのも知らずに。
S君の事態をH君から夜9時頃に電話で受けました。全く信じられませんでした。
どうしようもなく、とにかくH君の家に行くと言って電話を切り、しばらく僕は呆然としていました。嫁にS君の事態を話して、車に乗り込みH君の自宅へ向いました。
車で向う間、その一週間前にS君も一緒だったTさんの新築祝いの2次会の飲み屋で歌っていたBOФWYの曲が流れていました。
僕は、その時はドッキリか何かであってほしいと思いました。ドッキリであるなら僕がドッキリをされる理由があるはずだと、何度も考えました。涙は全く出ませんでした。
S君はこの手のドッキリネタにされるようなキャラクターだったから、そうであってほしいと思いながら、車をH君宅へ向わせました。
H君の自宅に着くと日ごろから仲の良い友達が6人集まりました。
S君のことは、事実だと空気ですぐに分かりました。F君の話を聞いても真実を受け入れたくない自分がいました。
座敷でテーブルを囲んだ友達6人の真中にH君のお母さんが大きなろうそくを1本立て、「供養してやりなさい」と火を灯してくれました。
ぼくらは目を瞑りS君の冥福を祈りました。
僕らはそれまで流れなかった涙が一気に溢れ出し、しばらくの沈黙の後に皆がとりあえず冷静になれたことを覚えています。H君の母親に本当に感謝しました。
通夜と葬儀までの間、僕らは何度も集まり悲しみと寂しさを共有し、S君の思い出に浸りました。
S君は堅苦しいことがとても嫌いな性格だったので、僕らもS君のちょっとした悪口なんかを言ったりして、わざとふざけるようにしていました。
通夜と葬儀の日は僕は仕事を休み、嫁と一緒に葬儀場へ向いました。
多くの友人が弔問に来ていました。
僕は悲しみを抑えきれずに、仲間と号泣していました。
葬儀の日のS君の奥さんと1歳半の娘さんの姿が目に焼き付いて離れません。
僕はS君の家族に何がしてやれるのだろうか。できることは何でもしてやりたいけど、今はそっとしておいてやることくらいしかできません。
後日、S君の遺品を取りに職場のS君のデスクに行きました。車の中では職場に到着するまで、ずっと浜田省吾の曲(星の指輪)が流れていました。
S君が僕を呼んでいるような気がしました。
職場では3月末で解雇された臨時さんが急遽戻っており、そこでは職員全員が暗い雰囲気の中で仕事をしていました。
S君の遺品は驚くほど少なく、国語辞典、小六法、作業の時の帽子とスリッパ、コップと電卓、手鏡、そして職員証明書くらいで、個人的なものな何一つありませんでした。
昔から仕事はまじめだと思っていたけど、ここまで仕事にプライベートを持ち込まないヤツもこの職場には他にいないと思いました。
・・・ つづく ・・・