息子との面会の時
コロナが流行る前までは、ほぼ毎週末息子に会いに行ってたが、コロナに突入して、面会がガラス越しの平日のみになった。それがまた曜日指定に変更さて、更に月1回となった。
旦那の体調も悪くなり、車の運転もままならない状態になった。
息子に会いに行くのもやっとだった。
だけど私は、息子を診てる時から旦那の異変に気が付いていたのだ。「いつか、この人は倒れる」と。。。
なんでも何かに囚われると、目が覚めない。
仕事が!仕事が!と顔を真っ赤にして働いていた。
息子が通院してる病院で医師に息子の状態を話す時の旦那の顔は鬱っぽく、顔色も良く無かった。
このままでは家族共倒れだ。。。
その時は旦那がASD・ADHDとは知らなかった。
なので、旦那が何に苦しんでるのか良く分からなかった。
今思えば「適応障害」だったのだろうか。。。
シングルタスクの旦那には、仕事と介護の両立は出来なかったんだと今思えば腑に落ちる。さらに「家庭」と言う「輪」にも馴染めて無かったんだなと感じる。
そんな状態で3人が同じベクトルに向かって生活出来るのかと私はその時何かを感じ、苦渋の決断をしたのだった。
しかし、私の感は的中し、息子を預けた直後から待ってましたとばかりに、旦那が崩壊して行ったのだった。
もっと早く、旦那がASD・ADHDだと分かって早期治療に向ってたら。。。と考える。
私は重度身体障碍の息子しか診て無かったので、脳の病気までの知識は無かった。お話する友達も身体障碍のお母さん達が多く、私はリハビリや療育の事だけ考えていた。息子が重度知的障害だった為、何か育児本の様な物も読まなかった。
私は白内障で車が運転出来ないので、旦那に運転を頼んでいたが、だんだん、息子の面会も行けなくなってきたのだった。行けなくなった期間は半年くらいだろうか。。。勿論、コロナで面会が禁止になった時もあった。
写真だけ、偶に病院から送って貰っていた。
息子は集団生活をして、そこから学校に通っていたが、コロナに入り、学校へも行けなくなった。新しい先生から年度末に貰うお便りが、もの悲しかった。
偶にリモートで最近は授業に参加しているとは聞いている。
旦那、パニック障害悪化
旦那がパニック障害を起こしてたので、高速を使えなかった。下道で長距離運転し、途中で休み休み進む。
赤信号で止められては悪態をついた。ノロノロ走っている車には、イライラして車内で怒鳴っていた。長距離を走っているとニコチンも切れて更にイライラ。急発進、急ブレーキを繰り返す。道を間違えると直ぐにパニックになった。
「物事を落ち着いて待てない」
これは精神病の一つだ。ADHDが起因しているのだろうか。
やっとこさ私たちが息子に会いに行くと、息子が絞められた自動ドアを開けようとする
「ごめんね、息子ちゃん。開けては駄目なんだって」
抱っこしたいな。。。もう3年も触って無いよ
でも、最近「痙攣」が有ったらしく、幸い病院に寝泊まりしているので、すぐにお薬を処方さていた。コロナ禍で痙攣が有ったら、対応できる病院は自宅近所に無いやっぱり病院に居た方が安全なのかなとふと思った
不思議なのが、病院と提携している車いす業者が、なんとなくボッタくり。。。に思えてならない(失礼)。
息子の腰がちょっと大きくなったので、車いすを作り直す事になったが、背中を支える背もたれが息子の下半身分更に長い。王様の様な椅子だ。所謂。。。「無駄」な作りをしている。そのせいで、車に入らないという事に
しかも壊れやすい。どういう事なんだ。。。所謂、福祉機器の搾取だろうか。医療道具は高い粗雑に作られた物でも高い。私たちはその内の何割かしか払わないが、それを見越して見積書の金額を見ると毎回ビックリする。
そんなこんなで、コロナだから無理だけど、息子を公園に連れ出す事はもう出来なくなってしまった。。。
月に1度の息子との面会が、私たちの唯一の家族団らん?である。。。面会時間は15分間だけだけど。。。
次回:旦那のASD・ADHDとは