Twitterで、乙武さんの弁解を読みました。
あの時、乙武さんが憤慨したのは、車椅子ユーザーの扱いが酷かったのでは無く、
「人として」の認識が双方違いがあり過ぎた。
レストランに行き、美味しいご飯を食べる。
この基本的な事すら、出来なくなるという、人として、権利を冷ややかに笑われ、拒絶された事。
普段私達は「権利」や「特権」を考えて生活してません。余程の地位に居なければ。乙武さんも全く考えて無いでしょう。うまくやって来れた。問題無かったから。
私も最近通い始めた、息子の障がい児クラスの保育園。
入口から、教室まで歩けない息子を抱っこして、荷物もって、靴脱いで、などの事を片手でやると、クタクタで、入口から教室まで短い距離なので、先生に迎えに来て抱っこして欲しいと電話しました。
最初は、
「皆さん、平等に歩いて教室に来て貰ってますので、お母さん、抱っこして来て下さい」
だった。
「平等に歩く」
と言うのは、どう言う事だろう。
「皆と同じ様に歩いて」
とは違うと感じた私は、不本意ながら、電話口で、
「うちの子は、障がい児なんです」
と怒鳴った。
ここで、「障害」を押し出したく無かった。出来ない事は有るが、それが何か???
当たり前の様に言われて、怒り心頭だった。当たり前が出来ない。
どう頑張っても健常児に成長しない。
なにが「平等」なのか。
電話を切り、保育園へ行き、
13キロの脱力の息子を片手で抱え、
重い荷物を持ち、靴を脱ぎ、靴箱に
しまい、部屋の入り口の鍵を開け、中に入る。
腕がプルプルだ。
中に入ると、電話に出た方が、
「ベビーカーでの入室の許可がおりました」
とかなんとか言って来た。
バリアフリー構造の保育園。
それが今まで生かされて無かった。
健常者に「バリアフリーです」と宣伝してるだけの良くある施設だった保育園。
私達は、察してくれとは言わないが、
知識として、頭に入れて欲しい。
貴方が歳を重ねて、やっと不便を感じた時には、貴方に発言する力は残って無いでしょう。
私達が、発言してるから、気づき、気づかれ、バリアフリーが生まれる所も無いか?
今回の、乙武さんの事は、
彼だけの問題では無い事を考えたい。
貴方が、老後、車椅子になって、レストランに行けない事を嘆く事は無いと断言するだろうか。
普段から銀座なんて行かないから、
どうでも良いという方は、読まないで
頂きたい。
誰もが、同じ様に食べる権利、楽しむ権利は有る。
我慢するんじゃない。
同じ様に「楽しむ」のだ。
貴方に、仕事の合間の海外旅行を、
忙しい会社に否定されたらどうか?
旅行は贅沢だから、行くのはおかしいと思うか?会社が忙しいから、自分の休息は後で良いと考えるか。
生きていて、幸せだと感じる時は
気に合う仲間と、飲み食いしてる時じゃないか?
行った事が無い場所に行った時の高揚感。
感じて欲しい。息子にも。
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