教育改革が大きくクローズアップされている今日この頃。
教員採用に社会人枠 といった提言もなされています。
つまり優れた専門性をもった人間をどんどん教育現場に呼び込もうというわけです。
でもちょっとここで考察。
英語が本当に好き&得意な人で学校の英語の先生になろうとは思う人はごく少数。
翻訳家、通訳や外交官になりたいと夢を持つ人が多いはずです。
理科や数学が本当に好きで得意な人は学校の理数系の先生になろうと思う人はごく少数。
科学者、研究者やエンジニアになりたいと夢を持つ人が多いはずです。
国語や社会に関しても同様のことが言えるでしょう。
また、教員養成系の大学、つまり純粋に教員志望で生徒が集まる大学に偏差値70越えてる大学なんてないという事実。
つまり専門的な知識に溢れたその分野のエキスパート候補生は学校の先生にはなりたがらない。
でも逆に、知識が豊富な先生が必ずしも優れた教員なりうるかというと、それもまた違う。
では教員の専門性とは一体何ぞや?という疑問にぶちあたるわけです。
これは人によって様々な見解があると思います。
教員の専門性は〝生活〟である。(大倉健太郎)
というのが自分が見聞してきた中で最も納得しているところであります。
各教科の専門的・抽象的な知識・思考をいかに実用的で生活に即したものとして教える。
その能力こそが教員の専門性であるといえるのではないでしょうか。
そういう視点から見ると、ただ社会人から教育現場に優れた専門知識と夢だけ持ってこられても、子どもがかわいそうだと思うわけであります。
