中学1年編

「3度の不登校をやらかす、精神的な面で心は荒れていました」

「不登校をやらかした時期、小学校時代からの友人から無視されるようになる」

 

自伝をしばらく書きながら暗黒期の中学1年1学期はどうやって書こうかずいぶん悩みました。

 

あまり生々しい話を書くのもどうなのかな、ずっと思っていた事ですが、

いざ中学1年編に突入してみると、不登校になった主な原因については、

やっぱり書くべきではないかなという結論に至りました。

 

そう結論いたしましたのでざっくりと書き、詳しい説明は無しにいたします。

 

中学に入り、環境の変化もあって人間関係のもつれのような出来事が起きるようになりました。

 

4月、5月は小さな火種のようでしたが、火が着いたらそれは徐々に大きくなっていきました。

 

精神的に病む、そうなった時に学校に行けなくなる事が数度ありました。

 

朝は学生服に着替え、家を出ていきます。

 

しかし途中の道で座り込み、学校には行かずに無断欠席しました。

 

不定期でそういう日が出て来て結局1学期の間で計3~4回無断欠席しました。

 

現在では不登校という言い方をしますが当時は登校拒否という言い方をしていました。

 

3度目の無断欠席で自転車でぶらぶらしている所を工場の人に見られ

学校に通報されていました。

 

すると車で担任の先生がやって来ました。

 

そして学校に行きましたが個別で面談にしてくれればいいものを

教室でさらし者にするという選択を先生は取りました。

 

その瞬間クラスからは登校拒否児という認識を持たれ、

その後、小学校時代の友人は離れていきました。

 

それまで下校は一緒に帰っていましたが

いつものように一緒に帰ろうとすると無視されてしまうのでした。

 

「登校拒否するような人と交流してたら

君まで変な目で見られるよ、ああいうのとは距離を置いた方がいいよ」

 

直接そういう事を聞いた訳ではありませんが、見た感じの空気を読み取ると、そんな感じで離れて行きました。

 

ショックはありましたが、どこか吹っ切れたように気にはしなくなりました。

 

病んだ精神の中では、孤独な方が気楽でいいのかな、そんな風に無理矢理思ってました。

 

強がりでもあり、本心でもあり、半々な感じでした。

 

先生は問題児として色眼鏡で見るだけだったので、「内申書に書くから」などと言われて

そんな言われ方をしたら反発して余計におかしな方向に行くのが解らないのかな?と思いました。

 

持病の喘息ですが、ギリギリの所で三重病院への長期入院を逃れていたのでしたが

 

この不登校が決定打となり、入院させられる事になりました。

 

外来で月一回通院していた三重病院の方に自分が不登校をした話が通達され、

それを協議した上でしょう、

 

母が三重病院に相談して勝手に入院を決めてきました。

 

ある日母が帰宅すると、「三重病院の入院手続きをしてきた」と言うのです。

 

自分への相談、承諾は無しで勝手に決めてきてしまったのでした。

 

不登校という問題を起こしたので、もう強制的に入院させる!

 

そんな感じで問答無用でした。

 

言われた瞬間反論の気持ちは無かったです。

 

この環境に居ては、どうせこんな精神状況がずっと続くのだろうし、

今よりもっとひどくなるかもしれない。

 

そう考えると、入院はむしろ環境を変えてやり直すいい機会なんだなと、

 

むしろ進んで入院したいと思う程に入院に関しては賛成するようになったので

これで良かったんだなと思いました。

 

3歳上の兄は入院生活の中で、皆から慕われる兄貴分となりました。

 

そんな兄が好きであり、自分もそうなりたいと目標となるような人でした。

 

兄と同じ病院に入院すれば、その同じ生活環境で兄に少しでも近づけるのでは!

そんな希望を抱いての入院でした。

 

 

不登校で腐っていた心を吹き飛ばして変わりたい、そんな強い願いを抱いての入院でした。

 

母が入院を決めて来たのが一学期末頃だったと思います。

 

手続きの都合もあって、実際に入院する日は8月末となりました。

 

確か8月26日だったと思います。

 

学校も夏休みに入り、入院する事は決定していたので

どこか吹っ切れた想いで最後の夏休みを出来るだけ満喫しておこうと思いました。

 

 

 

 

今後の日記のネタストック

中学1年編

「三重病院に入院する直前に最後の晩餐とばかりに遊園地に連れて行って貰う」

 

三重病院入院編~

「兄が喘息で入院していた病院に自分も入院する事となる」

「同日入院の同部屋の2歳上の先輩は自称神経質」

「現在も交友が続く大親友との出会い」

「一学期に無視されてしまった友人が面会に来てくれた」

「学校は病院付属の養護学校に通う事となる、各教科で地元学校とのギャップを大きく感じました」

「国語の先生からは、とにかく本をたくさん読みなさいと言われました」

「規定の運動メニューをこなしていく中、一か月ほど経って足首の関節を痛めてしまう」

「学校の作文でしょうもないギャグを書いた同級生、個人的には少し笑ってしまった」

「ビリヤードブーム」

「正月休みで1週間だけ実家に帰郷、まだ4か月程度なのに、凄く久しぶりに感じた実家でした、お年玉も多くもらえ、色々買いました」

「それまで聞いていた音楽はゲームミュージックが主でしたが兄から勧められて色々聞くようになりました」

「腎炎病棟の子と喧嘩になりそうになって殴られても絶対に殴り返さなかった先輩達」

「壁に出来た謎のシミ、消してもまた浮き上がってくるという・・・」

 

中学2年編

「新学期に入院して来た他病棟の子とは凄く気が合う」

「病院から出される食事以外にお菓子などをこっそり食べる裏技の数々」

「結局1度も面会に来てくれなかった兄達」

「中3になってビックリマンを集めている先輩から笑われて言われたのが、中2にもなって仮面ライダー見て食事に遅刻」

「あまりに娯楽が無かった事もあり、先輩や同級生も集めていたので自分も集めだす」

「夏休み期間中に入院してから2度目の実家帰り、頭がぽわーんとして何もやる気力が沸かない不思議な感覚が襲ってきました」

「病棟行事の肝試し」

「喘息で亡くなった先輩」

「正月休みの実家帰省、ドラクエ3をやったりする」

「病棟内で結膜炎が流行」

「3学期の中途な時期に仮退院させてもらう事に」

「約1年半ぶりに地元の中学に戻って来た」

「入院生活との環境の大きな変化、そのギャップに苦悩しました」

 

中学3年編

「新学期初日、友人宅に行くと家に誰も居ないようで仕方なく1人で学校に向かう、それが数日続いた、そして転校していた事を知る」

「病院でキッチリ闘病生活からの卒業をせずに退院してしまったのでは、という苦悩が続く」

「三重県の中学で多かった男子は強制で坊主頭という校則、先輩たちが猛抗議したおかげでうちの学校ではいち早く坊主頭解禁となりました」

「うちの中学の伝統のダサい恰好がありました」

「ゲームセンターに行ったら補導員に捕まった事が2回ありました」

1回目は注意だけで済み、2回目は学校まで連絡がいき怒られました。

「威張って自慢話ばかりの隣の中学のヤンキー、自身の学校ではあまりにも嫌われ過ぎて他校の生徒に友達を求める」

「三重病院時代の同級生と学校の先生とで集まって旅行に行く」

「夏休みの2日間だけすでに退院した三重病院に入院、小学校の時にやった体験入院のような感じでした」

「夏休みに夜更かし、深夜にやっていた全日本プロレス中継に熱狂する」