先週 
病院で療養していた
父方の伯母が亡くなり
お別れをしてきました。


父の姉妹の中で
小柄だけど声が大きくて威勢がよくて
一番年上だけど一番元気で
いつも体を動かして
仕事をしているのが
大好きな伯母でした。


あの威勢の良さが嘘のように
静かに穏やかに眠るその姿は
前に会った時より
ひとまわり小さく見えて
10年前に亡くなった
祖母の面影とも重なり


会場外のホールであやされていた
伯母の幼い曾孫の泣き声に
また胸がつまりました。 






ながれるいのち。




解釈はいろいろあるとは思うけれど
RE_PRAYの中でこの言葉が
耳に入ったとき

私の中で浮かんだのは
蜷川実花さんの言葉でした。




本当に誰だっていなくなるんだ。
生命がつながってきたから、私もここにいるんだ。
生まれて、死んできたから、今ここにいるんだ。






ご住職から

『闘病という言葉がありますが
私はその言葉はあまり好きではありません。
◯◯様は病気と闘ったのではなく
自分の身体の中の病気を受け入れ
十分に生ききったのだと思います。』

とお話がありました。




たくさんの生命がつながって
ここにながれる
私のいのち。

十分に生ききっているだろうか。




外に出ると
雨が降り出していました。

空も泣いてるみたいでした。