今日もダブルワーク。
やっと帰宅。


午前中は重訪の朝ケアの仕事。
午後からは高齢者&障害者グループホーム支援。
バリバリの福祉の仕事。
ちょっと最近思うことがある…



社会的弱者と言われる方に関わっているわけだけど、弱者だから何ってこともないし、弱者ってことは強者もいるわけ?って話にもなり。
現場では、そんなの全く頭にないし考えたこともない。



物理的に不便があったりすればそれを補うものが必要で、それは目が悪ければメガネだし、耳が悪ければ補聴器だし、足が不自由ならば車椅子。
ただそれだけのこと。




核家族化している今、人力というもので不便を補う必要がある場合に支援が入っていく。
それも特別なことではなくて、メガネや車椅子と変わりないと私は思っている。




物質には心がない。
人には心がある。
その違いは小さくはないけれども、ここは支援のプロとして人力を必要とする部分に適切な力を発揮し、利用者の生活の質を高めることに徹すればいい。



重訪では、ご家族から大変有り難いと手厚い感謝をされることがある。
確かに24時間365日の介助は家族だけでは難しく、支援サービスは有り難いものだとは思う。
でも…



お茶を出され、お菓子を出され、食事まで出されることがある。
感謝の形なのだろうけれど、丁重にお断りするのも大変気を使う。



利用者が意思疎通できる方だと、ご本人からお菓子を勧められたりもする。
頂くわけにはいかないので、お茶だけ飲ませてもらっている。



家庭訪問でも先生にお茶を出す出さないで問題になり、今は玄関で話をするだけになったと息子たちの母校に子どもを通わせる人に聞いた。



感謝の気持ちは尊い。



でもそれを有形のもので表さなきゃいけないってことはないし、仕事としてしていることの対価を頂くのは会社からのみ。




とかく日本人は人に何かをしてもらうのが苦手な人種。
申し訳ない、お手数かけました、お礼させてくださいのように。



誰かの手を借りるのに遠慮して生きていると、必ず来る加齢による衰えに落ち込み、誰かの手を借りるのを遠慮し、どうしても借りなければならなくなったら申し訳ない気持ちでいっぱいになり、自分なんて…と
自責される。



ダウン症の人の屈託のない笑顔に癒され、自閉症の人のセンスに驚かされ、片マヒの方の生活の工夫に感心してる。


高齢者の方の大らかさ、ゆったりした所作に安心するし、認知がその方をよりチャーミングにしたりもする。


対価は会社から頂く。
でもそこには無形のやりがいや喜びがたくさん付加されてくる。



だから



お茶やお菓子や食事より、笑顔の交換が一番の頂きものです。



超超高齢化社会を迎える今。



高齢者になること、身体が不自由になること、病気や障害。
一生のうちに多くの人がその立場になるだろう社会になっていくのだから。


支援サービスが、自然なサービスになっていきますように。