*育児無関係の話です。今の思いを書き留めたくて書きます。
最近、仕事が濃いです。
なんていうかね…
命について…生き方について考える事例に相次いで当たります。
今回、プライマリーナース(入院通しての受け持ち)にあたった患者さんについて…
(以下、個人情報保護のため詳細をぼかした上に、設定を少し変えています。)
悪性疾患だけど未告知の患者さん。今回は別の病気で歩行が困難で入院し、自宅ではみられないので転院方向となっていました。入院時点で悪性疾患の症状が少しだけ出てきている状態でした。
入院後に家族に向けて病状説明があり同席したのですが、告知については家族が「引き続き本人には言わない」方向で終わりました。それでいいのかなともやもやは残りましたが、主治医と家族の間でまとまった話を横から看護師としてかき回すわけにはいかないこともあり、その場はそのまま終わりました。
今は告知する場合がほとんどですが、たまに強く告知を望まない家族さんもいらっしゃいます。
それがダメかといえばそういうわけじゃないと思うのですが…
その人の人生はその人のものなはずなんだけど、告知をしていないと他の人(家族とか)の意思や希望が介在し、本人が蚊帳の外になっていってしまう現実が出てきます。それについて「本人が主体にならないのはおかしいんじゃないだろうか‼️」と思っても、なかなか踏み込んでいけないこともあります。特に医師がそこに疑問やもやもやを持ってない場合は余計に… (医療の舵取りは医師なので…もちろん私の力不足も原因だったのですが…)
この病状説明結果を病棟内で共有したとき「患者さんが置いてけぼりな状態で本当によいのか?」との声があがり、そのままカンファレンスとなり「家族に未告知の真意を聴いたり、本人にそれとなく希望を聴いたりしていこう」「医師を含めてカンファレンスをしよう」という方向性になりました。
それで、主治医の予定を聞きカンファレンスの日程を設定し、本人の思いをそれとなく聴いたり、家族さんと接点を持とうとしたりしているうち…
まさかの急変…💦
患者さんは意思疎通が困難となりました。
もう本人の意思は聞き取れないな…とがっくし。
主治医が専門外の疾患だったため、急変後の説明は主治医とは別の医師が行ったのですが、その説明がなんというか…おおよそ家族に寄り添ったものではなかったこともあり、家族は興奮・激怒したようです…(-_-;)→当日は、私はお休みだったので翌日聴きました。
この状態で何ができるか考えて、家族様が来院した際に思いを聴きました。家族さんの精神状態はすでに落ち着いていたため「今は誰が悪いわけでもなく、病気で仕方がなかったんだ」なんて話をしました。自己満足かもしれないけど、いろんな思いを聴けて、何かできることがあればしたいと伝えて少しすっきりしました。
そして…じわじわ状態悪化…ですが、そこからは話ができておらず、患者さんの最期に家族としてどうしたいかは聴き取れていません。機会があれば話を聴きたいなと思っています。そして、できることを考えていきたいと思います。
…と思っていたのも束の間、患者さんは亡くなってしまいました。私がお休みの日だったのでお別れはできませんでした。家族様にも会えませんでした。
自己満足だけど、しっかりお別れして挨拶したかったなと思いました
今回のことを通して
人生は一寸先は闇
を実感し、改めて生きることを大切にしようと思いました。
そして、もし治らない病気になった時にどうして欲しい家族で話し合う機会を作っておかねばと思いました。
ACPという言葉がありますが…
生活する中で、こういう話を親子でしてる人はまだわずかだなと思います。
(うちも親子や夫婦でこの手の話はしてない)
折を見てしておこうかなと思いました。