皆さま、いかが連休をお過ごしでしょうか。
私は3連休は2日仕事、1日休みでした。休みの日は万博公園に行きました。
1歳4ヶ月の双子の発達の続き。
の前に…1歳5ヶ月の今を少し。
最近、Aが、自分で服を着ようとします。お着替えを置いていたら着てました。
ドヤ〜!!!
成長したなーと感動したのもひととき。
着替えようとさせたら、怒ってひっくり返って泣きました自分でしたかったようです。
暴れるから服の襟が伸びちゃったやーん
もうイヤイヤ期⁉️イヤーーーーー
相変わらず仲良しですが…
結託しておもちゃを倒して間にはまるのはちょっと困る💧💧
してほしくないことをしでかすのは相変わらず。二人で結託できるようになりどんどんパワフルになっていく気がします。
余談ですが…
この写真を見て思い出したのはこのエコー(17w1d)。
懐かしい。そして、これを探しに過去ブログを探したらちょうどこの日に後の主治医となるドクターと出会い、そして休職が決定してました(苦笑)
前置き長々すみません💦
1歳4ヶ月の記録の続き。言葉についてです。
【言語・状況の理解】
ここ一カ月での急激な変化はありません。そこそこコミュニケーションがとれてる感触があります。
「パパにどうぞして」「ポイして(ゴミ箱に入れて)」など簡単な指示は入ります。
でも、言語を理解して行ってるのか、状況をみて行っているのかは分かりません。
最近はお迎えが被らないときや時間に余裕があるとき限定ですが、保育園のお片付けも手伝わせています。「ここにポイしてね」というと袋に汚れたエプロンを入れてくれます。
おふろ・ねんねも理解しているようで、声をかけると浴室や寝室へ向かいます。2人して向かう様子がかわいらしくてほっこりします。寝かしつけは必要ですが入眠は比較的早くて夜泣きはほぼありません。
二人とも自己主張がはっきりしていて自分の意思に沿わないとひっくり返って泣きますが、抱っこするとあっさり泣き止み引きずらない感じであきらめも早いです。
キッチンで料理していると「まんま」と思うのかバンボに座ってます。まだだと悟ると、キッチンを侵略しにきます。ゴミ箱をあさろうとしたり、ガスコンロを触ろうとしたり、目が離せません。うちは構造上、キッチンにゲートをつけられないので諦め中です。
双子相互のコミュニケーションも少しずつ増えています。けんかもそうですが、泣いていたら気にして様子を見に行ったり、二人でものをやりとりしていたり・・・ほっこりします。
お互いは相方をどう認識しているのかな?大きくなったら聞いてみたいです。
【発語】
発語がほぼなかった双子。
ついに…ついに…ここ1カ月でしゃべり始めました!!!!
といっても・・・
両方:「マンマ」「ママ」「パパ」
Yのみ:「これ」(指さししながら言います。Aは言えずに「え!」と言ってます)
ママ・パパははっきり言います。夜勤明けに帰宅すると狂喜乱舞して「ママ!ママ!」と2人とも突進して迎えてくれるので本当にかわいいです(そして家を空けたことに少し心が痛む)。
ボールを「ボ」と言ってる気もしますが、これはかなり怪しいのでカウントできない感じ。
後はAのみですがご機嫌な時にたまーにですが「ヴァーニャーニャー」と「バナナ」を連呼してます。理解して言っているわけじゃなく「快の感情=バナナ」のようです。
私がバナナを与えるときに「バナナ」「バナナ」と必死に言い過ぎたのでしょうか・・・謎です。
保育園で「言葉が出ないのが気になる」と話すと「話そうとする姿勢は増えてきてますね」となんとなく濁された感じでスルーされてしまいました。発達関連は繊細な話題だからかはっきり言わないことが多いような印象です。
双子以外の要件で児童関連の心理士さんと話す機会があった際に「双子の言葉が遅い」と言ったら状況を聞かれて「全体の発達に遅れがあるような感じはないので言葉を便利な道具として気づいていないのかも」と言われました。
状況理解はそれなりにできている双子ですが物の名前を伝えても一向に興味はないです。「ものには名前がある」の理解が今一つな感じもありますし、発語については月齢としてはかなり遅いと思います。絵本への反応も今一つ(聞くよりもやりたいが先行するのか絵本を奪われて終了)
ブログで書いた時のコメントで受け止めていこうと思えたこともあり、発語に関しては悩みつつ落ち込まなくなりました。
「発明は必要の母」と言いますが、この子たち自身が言葉の便利さをまだ理解しておらず言葉を必要としていないのかもしれないと思うことにしてます。要求はしっかりしてる子たちなので言葉で要求する術を身に着けたらきっとうるさいほどお話ししてくれると信じています。
もうすぐ(私の中では)恐怖の1歳半検診です。発語が乏しい上、指示した動物の指差しは難しいと思うのでおそらくひっかかると思います。でも、最近は1歳半検診でひっかかるのを恐れるのではなく、ひっかかれば「専門家へ相談機会を与えられたと思えばいい」と発想の転換ができるようになりました。