リプロに転院くる前後あたりからかな。
漠然と「治療の辞めどき(諦めどき)」について意識するようになりました。
そう考えるに至った出来事があったわけではなく、うまくいかない現状から漠然と思い始めた感じです。
今考えると考えが激甘なのですが…
一人目が人工授精2回目で授かったこともあり、二人目の治療を始めた当初は人工授精を何回かしたらできるだろうという変な自信がありました。
一人目の時はAMHは測定せずで、データから軽度の卵巣機能低下は指摘されつつも、それよりは夫の精子無力症が不妊の原因だと思っていました(二人目の治療で無力症というより輸送時間で極端に運動率が下がることは判明しましたが…)。
一人目を授かった時の精子の運動率は人工授精じゃほぼ無理と言われる数字で妊娠しました。
なので、二人目の治療も人工授精でいけると思っていました。
万が一、うまくいかなかった時も体外受精すればすぐできるだろうと思っていました。
それが、こんなにこじれるなんて…
第一子妊娠出産時は37歳。第二子治療開始時は39歳。今考えたら、厳しいにきまってるんですが…
周りに40代前半でタイミング法で2人目を授かったママ友が2人いて、さらに身近に45.6でARTで出産してる人も2人いるため、大丈夫だと楽観してました。
で、治療を始めて、AMHを測ったら、40台半ばと言われ…体外受精に早々にレベルアップしたけど、刺激しても卵は3つくらい。
それでも、取れた卵はほぼ全部受精して、半分近くは胚盤胞になっていたので、なんとかなると思っていました。でも、うまくいかず…
やっと妊娠できたら流産

でも、妊娠できたし次はいける‼️
と思ったら、今度は受精すら怪しくなり、胚盤胞にもならず…
だんだん怪しくなる雲行きに「2人目は無理かもな」と思い始めるようになりました。
治療の結果が出ない日々を過ごしている間に子どもと同学年の第一子ママ友さんはどんどん二人目を出産し、中には三人目を出産した…なんて人もも出てきてます。
(息子は4歳だからそりゃそうか…って感じですね。)
街でも息子より小さい子と赤ちゃんを連れたママさん達を見かけるようになりました。
当たり前に手に入ると思っていた幸せでしたが、ここまで結果が出ないと、もうダメなのかもなと感じます。
後は治療へのモチベーションの問題。2年以上、ずっと治療を続けて段々と疲れてきています。
結果に一喜一憂(ほぼ憂)し、精神的に振り回され、内服や注射を忘れずせねばとのプレッシャーと戦い、通院と仕事と子育ての両立にピリピリし、節約を頑張って…の生活に疲れてきました。
夜に電車に乗って子どもを通院に付き合わせたり(前に通った病院は子連れ可だった)、休みの日に保育園に預けたり夜に夫に頼んだりして通院したり、子どもに負担をかけている罪悪感と自己嫌悪を感じます。
せめて、子どもと一緒にいるときはいい母親でいようと思うんですが、肉体的な疲れと精神的な疲れから、子どもに当たってしまうこともあり、さらに自己嫌悪を感じます。
仕事を減らす選択肢を取り、パートになった時期もあったけれど、収入が大幅に減った割に負担はそれほど減らなくて、費用対効果の低さから精神的にはより辛くなり正社員に戻って働いてます。
(退職は子どもが保育園を退園になって通院する時の預け先確保が大変になるので選択肢にない。何より経済的に治療続行できない)。
経済的にも赤字にはならないものの、いろいろ削って節約して頑張る必要はあります。
時折、治療がなければもう少し、精神的にも時間的にも経済的にも余裕があるのにな…という気持ちがよぎります。
いやいやいや…と打ち消してきましたが、やっぱり何度もよぎります。
子どもは欲しい。息子に兄弟を作ってあげたい。
でも、そのために現実の息子には負担をかけてしまっているジレンマ。
で、ふと…このままうまくいかなければ
「43の誕生日がリミット」
と決めました。
決めたらスッキリしました。
43歳以上でも治療して出産している人はいるけど、私のAMHから考えてもそこらへん(かもっと早く)が限界になるだろうし、そこまで頑張ってダメなら未練なく三人家族で生きていけるような気がします。実際はどうかわかりませんが…
あと1年少し。なんとか妊娠できるよう頑張ろうと思います。