12月に書いていた内容だけど、記録として残しておきます。
保存しっぱなして、公開するのをすっかり忘れていました。
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行ってきました。国立新美術館で開催されていた
ずっと行こうと思っていて、ついに最終日になってしまったけれど、
たまたまお休みだったので観に行くことができました!よかった♡
最終日ということもあり、まあまあの混み具合。
入場制限はかかっていなかったので、さすがにピークは越していたのかな。
今回の展示は、没後120年を記念した展示で、
ファン・ゴッホ以外にもクレラー=ミュラー美術館の所蔵品を中心とした
全123点で構成されていて、ゴッホ以外も良い作品が数多くありました。
ゴッホの油彩は36点、版画・素描は32点、その他、ゴッホが影響を受けた画家たちの
作品の展示となっていました。
混み合ってはいましたが、少し待てばじっくり作品をみることができる程度だったので、
今回も音声ガイダンスを借りて、時間を掛けてゆっくり観てきました。
音声ガイダンスのナレーターはTBSアナウンサー安住さん。
第1章~6章に分かれて展示されていて、
キャッチコピーである「こうして私はゴッホになった」という言葉の通り、
ゴッホの初期から晩年までを、彼の作品と影響を受けた画家と共に
作風の変化を追っていく展示でした。
【第Ⅰ章 伝統-ファン・ゴッホに対する最初期の影響】
第Ⅰ章は、ゴッホが画家を志した頃の作品から始まります。
ゴッホは様々な職業を転々としたのち、27歳で画家を志しました。
若い頃からバルビゾン派、フランスの写実主義、オランダのハーグ派といった巨匠たちの
作品に影響を受けていたようで、彼らの作品をもとに初期の絵画は構成されています。
同じようなモティーフを取り上げるだけでなく、色調や筆遣いなどの点でも
彼らの作品に影響を受けており、戸外での制作もよく行なっていたそうです。
ここにはゴッホの作品2点〈秋のポプラ並木〉・〈曇り空の下の積み藁〉と、
〈秋のポプラ並木〉 〈曇り空の下の積み藁〉
〈曇り空の下の積み藁〉は最初期から6年後位に書かれた作品と言われていますが、
〈秋のポプラ並木〉と比べるように展示されていて、初期から作風が変化しているのが
比較できて面白かったです。
【第Ⅱ章 若き芸術家の誕生】
第Ⅱ章はゴッホが試したさまざまな素描の技法や、
彼が集めた雑誌の図版などが紹介されていました。
ゴッホは基本的には独学で成長した画家なのですが、
高名な巨匠たちの版画や素描などを模写することで腕を磨いてきたそうです。
また、義理の従兄にあたる画家アントン・モーヴの教えを一時期受けていたことで、
油彩と素描を学んでいます。
特に人物の素描に時間を費やし、作品に強い表現力を与えるために、
画材にも工夫を凝らしていたようで、そういった作品を見ることができます。
モーヴに誉められ、ゴッホが自信をつけたという〈麦藁帽子のある静物〉が展示されており、
〈麦藁帽子のある静物〉
【第Ⅲ章 色彩理論と人体の研究、ニューネン】
第Ⅲ章では、農婦などをモティーフに描いたゴッホの初期の油彩が紹介されています。
1883 年暮れにニューネンに移住した彼の素描力は格段に進歩し、
関心は次第に油彩へと移行していったそうです。
翌年になるとドラクロワの色彩理論を学び、それを利用して農婦の頭部や静物を
描くようになった為、ドラクロワに影響された作品が多く見られました。
彼が参考としていた様々な色彩理論の書籍や絵具の分析、影響を受けた他の画家たちの
作品も展示されていました。
〈じゃがいもを食べる人々〉
この作品は、力を入れて描いた作品のようで、出来にはかなり自信があったようです。
「ジャガイモを食べる人々がその手で土を掘ったということが伝わるように努めた」と
ゴッホ自身は言っていて、彼の宗教観から「我が手を汚して働く人々への尊敬」に
よるものという説があるそうです。
【第Ⅳ章 パリのモダニズム】
第Ⅳ章では、パリへ移住後のゴッホの作品が並んでいました。
モネ、ピサロ、シスレー、スーラなど、ゴッホの作風に変化を与えた印象派の作品や、
大きな影響を受けたモンティセリ、ロートレックらの作品と比較しながら見ることができる
展示となっていました。
印象派の画家たちと親しくなったゴッホは、点描技法なども吸収し、色々な技法を
試行錯誤しながら、次第に独自の様式を確立していったそうです。
〈マルメロ、レモン、梨、葡萄〉
黄色の背景に、黄系の果物が描かれた静物。
額も黄色に装飾していて、全てが黄色で描かれている作品。
黄色だけといっても様々な「黄色」を使い、点や線に変化を出しているようで
とても見応えのある作品でした。
【第Ⅴ章 真のモダンアーティストの誕生、アルル】
1888年にアルルに移住したゴッホは、
パリで学んだ印象派の様式と日本の浮世絵から学んだ構図から、見事に結実し、
遂に独自の様式に到達したようです。
このアルルで芸術家たちとの理想的な共同生活を夢見たゴッホは、
「黄色い家」でゴーギャンとの共同生活を始めます。
〈黄色い家〉
お互いに影響を与えていたようですが、2人の意見は合わず、
ゴッホが自らの耳を切り落とすという事件が起こり、共同生活は
わずか9週間で終わってしまったそうです。
第Ⅴ章では、この時期の重要な作品である〈アルルの寝室〉を中心に展示がされていました。
〈アルルの寝室〉を実物大で再現した寝室があり、ゴッホとゴーギャンふたりの芸術家の関係に、
実証的に迫っていました。
〈アルルの寝室〉
アルルでゴッホが暮らした家の寝室を描いた作品。
絵の左側の扉はゴーギャンの部屋につながっていたとされているそうです。
ゴッホは日本人のように簡素な生活をしたいと考えていたそうで、
再現された実物大を見ると結構狭い部屋でした。
耳を切って倒れていたのもこのベッドだったとか。
【第Ⅵ章 さらなる探求と様式の展開-サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズ】
第Ⅵ章では、サン=レミとオーヴェール=シュル=オワーズという地で描かれた作品と、
原点に返るようにミレーやドラクロワなど過去の巨匠たちを手本として描かれた作品が
展示されていました。
色彩や筆遣いなど、技法の点から言えば、ファン・ゴッホの最晩年となる
サン=レミやオーヴェール=シュル=オワーズの時代に新たな作品の展開は
見られないそうです。
この頃、精神状態が不安定だったゴッホは精神病院に入院し、
最後はピストルで自殺してしまったそうです。他殺説もあるそうですが。
〈サン=レミの療養院の庭〉
療養院に入れられたゴッホが庭を描いたもの作品。
作品からは充実した気力を感じます。
〈アイリス〉
亡くなる年にサン=レミで描いた作品。
生き生きと咲くアイリスと、一方で萎れた花。
生命そのものを描いているようです。
ゴッホの初期から晩年までの作品を一気に観ることができた展示会でした。
ゴッホは油彩のイメージが強いですが、様々な作品を残しています。
いままで知らなかったそれらの作品を見ることができて、すごく貴重で
素晴らしかった!感動です。
もちろん図録も買いました。
「アルルの寝室」が表紙です。











