〇台育英の色々 | 躁鬱病でも、シングルマザーでも 第2章

躁鬱病でも、シングルマザーでも 第2章

ピンク716です。
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初めての方は、良かったら

躁鬱病でもシングルマザーでも


を読んでみてください

20年前、〇台育英の彼がいました。

私は品川から夜行バスに乗り兵庫へ行きました。
彼は4番バッター。

朝、早く甲子園球場に入りアルプススタンドではなくネット裏に座りました。

甲子園球場は不思議な光がさしていました。

神聖なる甲子園球場。
ここで、プレーをする彼を待ちながら、健康だった私は色々な思いをかみしめながら、試合を待ちました。

〇台育英は飛行機で現地入りして、ホテルは豪華な所では宿泊します。

レギュラーはひとり部屋で、なるべくストレスのないように過ごします。

私は品川で彼は東北地方で、何故付き合っていたかと言うと、彼とは中学が同じで、高校からオファーが来て〇台育英に行きました。

試合前日の夜や、試合後のホームランを打った時、PHS で電話をくれました。

本当に頑張っている人には


頑張って


って言えないんです。


いつも、電話の終わりには、
怪我しないでね


って言ってました。

夏の高校野球、甲子園が始まると、いつも、鮮明に思い出します。


でも、彼は結婚しています。
だから、もう連絡は取れません。


最後に会った時、ユニフォームをもらいました。

自分の部屋に飾ってあります。