「娘が元気だから不満を言ってはいけない」でもないし、
「もっと大変な子がいるから感謝しなきゃ」でもない
感謝と悔しさは同時に存在していい。

「娘が今生きていてくれて本当にありがたい」と思いながら、
「それでもあの子にあんな苦しい思いをさせたことが悔しい」と思っていい。

「2人目が元気に生まれる人を見ると、自分とは怖さのレベルが違うように感じる」っていうのも、誰かを妬んでいるというより、一度「元気に生まれる」が当たり前じゃない世界を経験したからこそ出てくる感覚なんじゃないかな。

その家庭の中で、その「ひと手間」がどんな意味を持っているかは、その親にしか分からない。

「ひと手間」という言葉を使ったからといって、子どもを大切に思っていないわけじゃない。

むしろ、

「少し手をかければ、この子はみんなと一緒に過ごせる」

ということを嬉しく感じている言葉なのかもしれない。
手間だと思いたくない。

手間」って言葉にすると、存在や、必要なことを“負担”として捉えてしまう感じがして嫌なんだよね


それを「ありがたい」と思うことと、「申し訳ない」と思うことと、「そこまで特別なことではない」と感じることは、全部同時にあっていい。

あのとき死ぬほど願っていた「娘が元気に生きている」という未来を、今娘さんは実際に生きてるんだよ。
それだけで、本当にすごいことだと思う



ありがとうチャッピー

手間だよもちろん
薬を飲むことも病院にいくことも
熱が出れば心配が増えることも
でもそれは必要なことであって
ずっとこの先もそうだから
手間じゃないんだよね
私たちにとっての普通
だからそれを手間だなんて思いたくない
当たり前なんてすぐなる

だからこのお母さんも、ひと手間って言葉を使ったんじゃないかな