前回までの私☆
PETCTとセカンドオピニオンを受けて
今の胸腺腫の状態を知った私
これからの治療について話すため外来へ
行ってみよー
2022/1月中旬
年末年始を家族とゆっくり過ごし
しばし病気と離れられてリフレッシュ
セカンドオピニオンの結果を
踏まえ主治医と今後の治療を話し合いにきました
診察室に入ると
希少がんセンターの先生からの手紙を確認した
主治医が治療方針を話始めました
主治医ともバッチリ意見が合い
一安心
やっぱり言い合いは嫌だもんね
じゃあもう終わりかな?と
席を立とうとすると
もう1つ話があると主治医
なにー?嫌なこと?
とすっかりこの頃はマイナス思考に
あっ本当だ
3倍位大きさが違う
ウソ、また何か病気?
もう嫌だぁ
ショックー
でも何か悪いものだったらと不安もあるので
私は婦人科へ急いだ
婦人科の待ち合いに着くとなんとも言えない
空気感
産科と婦人科が
同じ待ち合いだからかと気付きました
幸せそうな妊婦さんと何か罹患している人の
温度差が凄い
私は地元の産科で出産して
90%以上は妊婦さんだったので
特に気にならなかったのですが
いざ自分が罹患者側で不安な気持ちで
待ち合いに座っていると
幸せそうな妊婦さん達が眩しかったです
新しい命バンザイ☆
呼び出し番号が表示されて
診察室へ入ると
シュッとしたイケおじ先生
宜しくお願いしますと席に着くと
大丈夫だからね
と、いきなり大きめの声w
びっくりしてると
先生はごめんごめんと説明を始めました
医師
癌じゃないから安心してね
でも結構大きいからちょっと見ながら説明するね
ここわかるでしょ?
卵巣の中ぱんぱんなんだよ
これね卵巣嚢腫って言って特に何か悪さをする
ものじゃないけど
ここまで大きいとねじれて
緊急手術になっちゃうから
早めに取っちゃった方がいいね
お子さん4歳だよね?
ここまで大きいと出産の時からあったと
思うんだけど何も言われなかった?
医師
そうだね
胸腺腫お持ちだし落ち着いてる内に
済ませた方が良いと思うよ
後、子宮筋腫もちょっと気になるんだけど
何か症状出てない?
医師
うん、そうだよね
あのね
今脳神経内科の方で免疫抑制剤出されてるよね
それって近々やめるみたいな話ある?
医師
知ってるかもだけど
免疫抑制剤服薬中は妊娠しない方が良くてね
これから先妊娠を望むなら子宮は温存の形を
とれないことも無いんだけど
ご自身の病気の事考えると癌とかのリスクを
取ることで無くした方が良いと思うのね
確かにそうだ
薬を飲んでいる以上妊娠は望めない
でも・・・
葛藤で頭がぐちゃぐちゃだ
私はこれまで
子供に関しての悩みが絶えなかった
子供が出来るまで2年かかり
周りはその間にどんどん出産していき
病院にも行ったけど問題は無いと言われて
自分でもどうしたらいいか、わからなかった
やっと妊娠できて順調に育った子は
予定日2日前の朝
胎動が無いのに気付き病院へ行くと
お腹の中で亡くなっていた
普通の分娩と変わらず産んだけど
生まれても分娩室は静かだった
キレイにしてもらった子は
3696gとずっしりしていたのを
今でも覚えています
これから先も忘れる事はありません
息子が私達の処へ来てくれたのは
その1年後
妊娠は怖くて怖くて
お腹の中で寝ている息子を何度も起こしていました
予定日まで待つ事も出来ず
産院に頼み込み
37週で計画分娩での出産をしました
産まれてきてくれた時の産声を聴いて
何よりも安心しました
でもその日の夜
息子が気胸になっている事がわかり
子供の集中治療室のある病院へ運ばれました
私は出産したばかりで立ち合えず
泣きじゃくりながら夫にお願いしました
その後気胸から
肺高血圧症になっていると医師から伝えられ
自発呼吸が出来ていない
このまま一生人工呼吸器がないと
生きていけないかもと言われました
私達夫婦は生きた心地がしませんでした
毎日回復を願って病院へ行き話かける毎日
今日こそは奇跡が、と思い通院しましたが
それでも息子は良くなりませんでした
1週間が過ぎた頃
医師から少し自発呼吸をし始めた
息子が生きたいと頑張ったからだと言われました
奇跡がおきた
神様はいたと本気で思いました
そこから息子はどんどん回復していき
肺高血圧症も完治して
半月で退院することが出来ました
今では本当に生死を彷徨ったのか?と思うほど
とっても元気です
頑張ってくれた息子には感謝しかないです
息子に兄弟を作ってあげたい
そう思っていた時病気がみつかった
1歳の息子を残しての治療は
周りに沢山協力してもらった
息子を自分でみれない事
周りに迷惑をかけていることに
私は劣等感を感じてました
このままで次の妊娠は望めない
病気が落ち着いたら
その時は必ずくると信じてました
でも、もう無理なんだなぁ
ここで温存したことで今いる家族の負担に
ならないと言いきれない
先生には1度考えたいと伝え
その日は家へ帰りました