昨夜はベッドの中でドリーム先生のブログの写真を思い出してしまい、急に恐怖が襲ってきましたガーンガーン

でも、頭の中にドリーム先生の顔を思い浮かべたら、瞬く間に安心に包まれてしまいました照れ照れ
ドリーム先生凄すぎますドキドキ





今日は朝シャワー浴びている間にふと、やっぱりそうなのかもと思った事。

それは今、自分が自分だと思っている人間なんてそもそも存在していない、という事。


自我とは一体なんなのか。
自我があるからこそ、こうしたい、こうするべき、こうじゃなきゃ嫌だ、そうなったら嫌だ、という思いが存在するのではないかと。





そして、大体この自我はその時の時代や国によって決められた常識などによって左右されるものなのではないか?という事。
すなわち、自我に魂レベルでの自分というものは存在していないのでは、という。








私には今、2歳の娘がいてそろそろ2人目が欲しいと思っています。

だけど、もし次生まれてくる子が障害を負って生まれてきたら…………

障害の子を育てられる自信がないなら、このまま一人だけでいいのではないか、などと考えてました。


それは一体どこから湧き出る気持ちなのか、この気持ちの根底にはびこるものは何なのか。




それは、きっと今のこの世界で健康な子供を生む事こそが幸せという、一種の洗脳みたいなものがあるのだと思います。


もし、この世界が障害児を神と称えて、健常児を悪魔とし、障害児を産んだ母親だけを称賛し、富と名誉が与えられる世の中であったなら。
それが世界共通の常識であったなら、私は間違いなく障害児を望んでいたでしょう。



他人が思う幸せの基準に合わせ、自分の本当の幸せなど一ミリも真剣に考えていないからこその考え方。








下らなすぎますね。
私の周りの障害児を持つ人全てを、可哀想とし見下していたのかもしれません。



この世に起こる事で必然でない事など一つもない。
もし障害のある子を産んだとしたら、また新たな経験の中で新たな幸せを見つける、ただそれだけの事。






妊娠、出産は誰にもコントロール出来ない。
なら、私は全身全霊でこの身を捧げます。
どなたでも、もし私の子供として生を受けたいのであれば受け入れます。





私に出来る事、また全ての生きている人にできる事は、今この瞬間に幸せを感じる事だけ。

とにかく、この今世の人生に抵抗せず安心して身を委ねるだけ。




今日は関東のドリマーさんのお茶会でした。
とても行きたかった、でも行かないという選択をしたのは私自身。


今からでも少しずつ、〜したかった、〜に行きたかった、と言わないで良いような人生を歩んで行こうと思います☺️



今日も全ての出逢えた人達に感謝して、今日という貴重な時間を過ごしてます☕️