「当たり前」という思い込みの枠を超える。
我が家の庭のミケラマス・デイジー、今週の初めから開花スタート。
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ありがとうございます。
日本滞在記(昨年5月)続編は
小休止。
ずっと続けてきた日々の習慣、
当たり前のように続けていた
慣例的なこと。
実は「当たり前」ではない。
全ては変化する。
だから当然なのですが・・・。
それなのに、知らぬ間に
それが「~べき」になり、
自分を不自由にしていた。
それこそが自分の中に
自らが枠を作っていたこと。
最近、それを見せてくれること、
自分が強く反応した感情を
丁寧に見ていくことを通して、
続々とこれでもか!と
直面中。
自分の中の「~べき」も
相手が見せてくれる
「~べき」のどちらにも
気づいたら、Noと言っていい。
でも、だからといって
闘う必要もない。
自分の気持ちに素直になって
自分が「正しい」ことを
むやみに主張するという
「防御」に入らず。
ただそのままの言葉を
自分にも相手にも伝える。
まずはそこがスタート。
自分は自分の味方に。
相手がもしそうでなくてもいい。
自分が自分の味方で
ありさえすれば。
これが大事なこと。
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。