感情を感じきる前に、綺麗に収めようとしていた。
ブログに訪問してくださいまして
ありがとうございます。
自分の感情にしっかり向き合う意味を
ようやく少しづつ理解しつつある最近。
見たくない気持ちが出てきた時に
その時々に自分なりには
向き合ってきたつもりが
それは「つもり」であって
そうではなかったこと。
見たくないものが見えた瞬間、
「おっとそんなのないよ」とばかり
蓋をして。
チラ見だと覚えていられない
おぞましいと感じたものも
あったはず。
大人になればなるほど
その傾向は強くなったことも
想像がつきます。
仕事の場面だったり
大人として振る舞わなくては、
人に迷惑をかけるわけにはいかない、
常識的にしなくてはだったり。
色々な理由、必要性を感じたことも
あったかもしれません。
でも、よくよく見ていくと
全然そんな必要はないのに
自分の気持ちを感じきらないまま
綺麗に収める傾向があること。
はい、はい、ちゃんともう見たし、
感じたし、分かったから。
それはこういうことだよねと
自分に都合のいい形に収めて
納得したような気分になって。
途中でストップをかけて。
中途半端なところで
また蓋をされた気持ち。
そこで「解決した」はずのことが
戻ってきて、まさかの
「再度直面!」ということに
今も取り組み中(汗)。
感情を感じきることを
止めたのはそれをやれば
止めどなく出てくる。
どこまでやっても
エンドレスで、終わりがない。
そんな恐れがあったようです。
「愚痴っぽい人にはなりたくない」は
人に分かってもらうことを
求めていたからそう思っただけで。
大事なのは誰かにではなく
(それが必要な段階もありますが)
最後は自分が自分にちゃんと理解
してもらうこと。
本当の本当の気持ちを
自分こそが感じきってしまえば
ちゃんと完了するのだということ。
それが自分の中でだんだん
実感を伴って感じるように
なってきました。
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。
ブログに訪問してくださいまして
ありがとうございます。
自分の感情にしっかり向き合う意味を
ようやく少しづつ理解しつつある最近。
見たくない気持ちが出てきた時に
その時々に自分なりには
向き合ってきたつもりが
それは「つもり」であって
そうではなかったこと。
見たくないものが見えた瞬間、
「おっとそんなのないよ」とばかり
蓋をして。
チラ見だと覚えていられない
おぞましいと感じたものも
あったはず。
大人になればなるほど
その傾向は強くなったことも
想像がつきます。
仕事の場面だったり
大人として振る舞わなくては、
人に迷惑をかけるわけにはいかない、
常識的にしなくてはだったり。
色々な理由、必要性を感じたことも
あったかもしれません。
でも、よくよく見ていくと
全然そんな必要はないのに
自分の気持ちを感じきらないまま
綺麗に収める傾向があること。
はい、はい、ちゃんともう見たし、
感じたし、分かったから。
それはこういうことだよねと
自分に都合のいい形に収めて
納得したような気分になって。
途中でストップをかけて。
中途半端なところで
また蓋をされた気持ち。
そこで「解決した」はずのことが
戻ってきて、まさかの
「再度直面!」ということに
今も取り組み中(汗)。
感情を感じきることを
止めたのはそれをやれば
止めどなく出てくる。
どこまでやっても
エンドレスで、終わりがない。
そんな恐れがあったようです。
「愚痴っぽい人にはなりたくない」は
人に分かってもらうことを
求めていたからそう思っただけで。
大事なのは誰かにではなく
(それが必要な段階もありますが)
最後は自分が自分にちゃんと理解
してもらうこと。
本当の本当の気持ちを
自分こそが感じきってしまえば
ちゃんと完了するのだということ。
それが自分の中でだんだん
実感を伴って感じるように
なってきました。
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。