「まさか自分に限ってこんなことはない」と断言はできない。
ブログに訪問してくださいまして
ありがとうございます。
やっと自分の正直な
感情に向き合い始めて。
ボロボロと浮き彫りになったのは
「こういう感情は感じてはいけない」の
思い込みのオンパレード。
★有機的に事が進む流れが加速中
のパスワークを学び始めたことと
同時並行しての「感情ジャーナル」を
付けていること。
その相乗効果もあって
隠れていた感情が
勢いよくあぶり出されています(笑)。
今のところ一番自分でも
驚いた感情はというと。。。
それまでは人と比較をしない
タイプと自称していた私。
それが、え?あれ?嘘?
私、こんなこと感じるの?
がまさに人と比較し、
批判する気持ち。
正直にその時の気持ちを
書きますと
「あの人、何だかムカつく」
「認められようとして一生懸命」
「認められていい気になっている」
ドヒャー、ええええ?と
晴天の霹靂という感じでした。
これは実は私が他の人から
過去によく思われていると
感じたこと。
それに辟易もしていたので、
「人のことなんてどうでもいいでしょ」
という思いがありました。
だから、人のことを批難したとしても
こんな気持ちを持つというのは
自分にはあり得ないと思っていました。
なので、これは結構なショックでした。
「どんな邪悪な気持ちも探せば
自分の中にないものはない」も
学びましたし、頭では理解していても。
ジタバタしましたよ。
でもあるものは否定できない。
「こういう気持ちがあるんだね」と
それを感じることにしました。
そしてそれを人にも言えた後、
その感情に「いい」とか「悪い」
というレッテルを貼る必要を
感じなくなりました。
最初に見つけた時は
「こんなのはあっちゃいけない」と
蓋が開いた瞬間、閉めようとしたような。。。
「臭いものには蓋」というやつ。
でも、それをするとまた振り出し。
何が起こっても向き合うと
決めていた覚悟が
そうするのを止めてくれました。
そして更にそこから先に
隠れていた気持ちも
別の機会に判明。
「人によく思われたい」
「認められたい」
え?まだこんな気持ちって
自分にあったの?
もうそういうのはないと
思っていた私。
「こんなつもりの自分」は
つもりであって、
そうではなかった自分。
まだまだ玉ねぎの皮を剥くように
一枚一枚自分の中にある「つもり」が
剥がれていっているところです。
写真は先週訪れたDorking ドーキング。
目の前に広がるのはBox Hill ボックス・ヒル。
最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。