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ありがとうございます。


公園の中のカウパセリ、
白い花はとうに終わっていました。

季節は確実に巡っていますね。


 


兄の福岡の友人で、ヘルパーさんを
派遣する事務所を経営されていらっしゃる方。

彼にお会いしたのが3年前の春。

彼は障害者の支援の活動も
お仕事の傍らされていらっしゃって。

障害をお持ちのお子さんの
お母様達へのイベントもなさっています。



彼が言ったある言葉が忘れられません。

「自閉症など障害のあるお子さんのことを
    よくコンピューターや音楽や芸術に
 秀でた才能を示すと言ったりしますが、
 何だか、そういう才能があるから
 生きていてもいいですよね?みたいな
 言い訳が必要な感じがしませんか?」

「じゃあ、ない人はどうなるの?と
 思いませんか?」

「皆にそういう才能があるわけでもなく、
 色々と親に面倒をかける、
 大変な思いを親御さんがされている
 ケースの場合どうなんでしょう?」

「生きているだけで、素晴らしい」と
思えるでしょうか?

そんなようなことをおっしゃって。

それが実はズシンと心にきて、
「さて、兄の存在を私はどう受け止めているのだろう?」と
それからずっと問いかけをしていました。



兄は、その頃からだんだん以前よりも
難しくなっていました。

それで、正直なところ
「生きていてくれて、ありがとう」というような
気持ちを持っているのか?持てるのか?と
思うと。。。

すぐには「Yes」の言葉が出てきませんでした。


ただし、いつも兄のことを思う時、
「兄がいたお陰で、私の人生は
  遥かに幅広く、色々な経験、
 そして豊かな人との出会いがあったのは
  間違いないだろうな」ということが
 思い浮かびます。

子供の時からの私の原点の想い、
「人が持つ可能性を信じる」は
兄がいたからこそ。

それから真っ直ぐではないにしても
それを探求する道をずっと歩んできています。

その途上で、
兄のように知的障害があったり、
精神疾患を患っていたり、
またそのご家族や周りの方だったりの
出会う機会がわりと多くあります。

Jさんはそれをご存知で、またご自身も
息子さんの障害のこともおありになるので、
Sさん、私の三人でお会いしたかったようでした。


昨日の記事から引っ張っていますが、
長くなりましたので、続きは次回へ


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実家で子供の時から歴代
3匹の犬を飼っていました。

犬の存在がどれだけ私達家族の心を
慰めてくれたことか!

2代目の犬、柴犬の幸がまだ
我が家に来たばかりの時の写真です。

兄と私は子犬の幸に夢中でした。



 



最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。