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日曜日の正午から義弟の息子の
地元のカソリック教会の堅信式
(コンファメーション)に出席しました。


そしてその後はそのお祝いと

今週に控えた甥っ子の早めの

誕生日祝いのパーティーへ

義弟の家へと


生憎、義妹Jの上の男の子が

風邪を引いたので、Jのご主人が

上の子と下の子の面倒のために残り

ご主人と二人の甥っ子は来れず

全家族は揃いませんでした。

堅信式はそれに参加する子供達の

家族、親戚、お友達家族等など、普段は

教会に来ない人達、小さな子供達も大勢

来るので、教会は人、人、人で埋め尽くされます。


そんなことで堅信式にかなり時間が
かかり、義弟家に着いた時は午後2時を
とうに回っていました。


簡単につまめるパーティーフードを
キッチンに用意してくれて。



取りにいったところ。。。



写真を撮れればよかったのですが

義弟家の犬ラスティのケージの上に

テーブルが置かれ、そこに食べ物が

ズラリと並んでいました。



ケージの上から食べ物の匂いはしてくる。



馴染みの家族達がどんどん現れて

お皿に食べ物を取っていく様子を

ケージの中で感じ取ったラスティ。



ワンワンと不服そうに声を上げていました(笑)。

義弟の奥さんCがラスティの大好物の

ニンジンのスティックを「はいはい、

ニンジンをあげるからね」と言いながら

ケージ越しにラスティに差し出すも。。。


最初はそれで収まっても

「僕が欲しいのは食べ物だけじゃない!」

というラスティの心の声が聞こえるような

鳴き声が何度も。


外に出て家族と触れ合いたい、遊びたい

エネルギーを発散したいというのが

ラスティからビンビンと伝わってきて。



ここでラスティをケージから出すと

興奮状態のラスティに振り回され

食事が取れないので、可哀想だとは

思いつつ、皆グッと我慢して。



英語でdog’s lifeという表現があり

人のために働く犬の生活を称して

使われた言葉のようですが。



人に使われるだけでなく

居心地の悪い場所で暮らす

犬の生活は楽ではないという

ニュアンスの言葉でした。


今は犬だけでなく、人の生活に

ついても使う表現です。



その言葉を主人がつぶやいていました



食事が終わった後はケージから
少しの間だけ出してもらったものの
抱き上げられて。



下には下ろしてもらえず、不服そうに

唸り声を上げていたので

“No, Rusty”と何度か怒られていました。


長くなりましたので、続きはまた明日。


最後までお読みくださいまして
ありがとうございました。