イギリスの庭には夏の終わりからあちこちで見かける、
Sedum(日本ではセダム)。こちらでの発音はシーダム。
毎年しっかり咲いてくれますが、
今年は例年に比べてその美しさが際立っているようで、
今までは「シーダムは無くてもいい」と言っていた主人ですが、
心変わりしたそうです。
この1月からブログを書き始めて、
最初はまずは書くことに慣れることからと
特に方向性があってないような感じでした。
でも、ここ最近私が書いていることを振り返ってみると、
頻繁に書いているのは「人との出会い」「人とのご縁」について。
イギリスで暮らして14年目に入った今年、
10年以上前のことも遡って書いていますが、
突き詰めると「人の出会い」があったからこそ、
ここの暮らしに馴染め、好きになり、
それによって世界が広がったことを書いているのだなあと。
「どこに住むか?」については、もちろん自分の気に入った所に
住めたにこしたことはありませんが、
よく知らないから住んだ場所もありましたし、
その時の状況や事情で選んだ場所もありました。
でも、そこで出会う人によって、私の生活は豊かな彩りを帯びていきました。
日本での生活も実は同じでした。
元々は福岡出身の私。
海外に対する強い憧れは子供の頃から心に抱き続けてはいましたが、
それは途中からもう淡い憧れで終わるのかなあと。
そして、故郷の福岡が大好きだったので、
このまま福岡で一生暮らすものと思っていました。
でもその後、色々とあって、東京で学生として暮らすことになりますが、
学生生活が終われば福岡に帰るつもりがここで予想外の展開に。
最初に就いた仕事で(福岡で就職活動をしたにも関わらず)
東京支店への配属が決まったため、
そのまま東京に残ることになったのです。
仕事を続けるということで東京にずっと暮らすことを選択してからは
東京の暮らしが楽しくなり、それと同時にどんどん人との出会いも広がっていきました。
「東京の方が人が冷たいんじゃない?」「寂しくないの?」と
聞かれることもありましたが、とんでもない。
結局は東京も地方からの人達の集まりだったりしますし、
違和感は全然感じませんでした。
気が付いてみると東京に住んでいた時に出来た友人は東京を含めた、
関東圏出身の友人がほとんどです。
そして、今もここロンドン郊外で自分が外国人だということを
意識することはほぼありませんし、
友人が日本人であろうとイギリス人であろうと何人であろうと関係ないと感じています。
住んでとても好きだった場所、思い入れのあった場所もありますが、
結局はそれは誰とそこで過ごせたかということが
私にとっては一番大事だったのだなあと思います。
いつも人との出会いには恵まれている。
日本でもそう強く感じていましたが、ここイギリスでもそう。
それを改めてとてもありがたく思っている最近です。