昨日は中秋の名月でしたね。
夜、近くのジムに出かけた時に
煌煌と輝く、大きな月に目が釘付けになりました。
奇しくも、前日日曜日のプラント・フェアーで
すっかりススキに魅了されて、初めてススキを購入。
ミスカンサス(Miscanthus Fern Austin)、
先端の色が深みのあるボルドーカラー。
昨日の朝、朝露で靄がかかった中、
朝日を浴びるミスカンサスの姿にうっとり。
月が見える前、庭の水撒きをした時に、
この赤みのある色が浮かび上がるのも美しく、
中秋の名月の日に間に合ったことが嬉しくなりました。
残念ながら、月見団子は無しでした。
北ロンドンのHighgateに
住んでいた時の話に戻ります。
私が住んでいたのは、
家の一番上の階である
3階の一部屋。
隣りの部屋が
オーストラリア人の女性K。
イギリス人の大家さんご夫婦は
1階と2階に。
その下のベースメントフラットには
当時は、イギリス人男性が一人で。
そしてその後イギリス人の
若いカップルが。
ベースメントフラットは
玄関が別だったこともあってか、
そこに住んでいる人達とは
顔を合わせることは
ほとんどありませんでした。
1階に玄関があり、
そしてすぐ階段、
階段横に二つ大きな部屋と
奥に台所がありました。
2階はご夫妻の
寝室二部屋と
バス、トイレが。
大抵大家さんご夫婦は
1階にいらっしゃったので、
話をすることがよくありました。
ご夫妻には既に成人されたお子さん、
息子さん、二人のお嬢さんがいました。
最初に部屋を見に行った時に
奥さんから、息子さんの話が。
精神的な病いを
19歳の時に発症して、
区が彼に用意した近くのフラットで
一人で住んでいる(サポートをしてくれる
スタッフが近くにいる)と説明。
「彼は時々家に泊ることがあって、
あなたの部屋の階の
小さな部屋を使うことがあるけれども、
静かだから」と。
その話をしてくれた時に
奥さんのオープンさが
とてもいいなあと思いました。
うちも兄が小さい時に
繰り返し起きた熱性痙攣で
脳にダメージを受け、
障害があって。
今も実家で両親が
兄と一緒に暮らしているので、
息子さんの話は人事ではなく、
何か親近感を覚えました。
後で分かることになるのですが、
他の二人のお嬢さん達も色々とあって。。。
皆、近くに住んでいるので、
大家さんご夫妻だけでなく、
お子さん達とも顔を合わせる機会がありました。
奥さんはお喋りで、
家族の話もざっくばらんにされました。
当時、奥さんはパートタイムで
ファミリーセラピストの仕事をしていました。
仕事で海外に行った話をした時に
「でも、うちの子をみてちょうだい。
外ではファミリーセラピストの仕事をして
家じゃこれだものね、ハッ」と笑って、
話してくれたこともあります。
奥さんだけではなく、
私が知っているイギリス人の人達は
「家族って大なり小なり何かあって当たり前」と
特別に我が家がというふうには
捉えていないように感じます。
何か問題があっても
悲痛な調子で語るのではなく、
冗談を交えて。
大変なことも笑い飛ばして話すのに
救いを感じる時があります。
奥さんの誕生日は5月の終わり。
社交的な奥さんは毎年
大きなパーティーを開いていました。
まだこの家に住み始めて間もない
私も招待してくれて。
そこでハウスメイトのKと
初めて顔を合わせることに。
Kはオーストラリアに住んでいた時は
クィーンズランドに住んでいたので、
日本人の学生も多く、
彼女はホストファミリーとして
何人も日本人を知っていたそう。
日本人には親近感を持っている
という話をした覚えがあります。
パーティーに現れたのは、
奥さんの友人、パワフルな女性達。
その時に分かったのが
以前奥さんがビンテージの洋服を扱う
小さなブティックを数年
近くで経営していたことがあって。
そこでお客として知り合った方達が
その後お友達となり、
パーティーにもかなりいらしていたということ。
私がその日に着ていた
モスグリーンのギンガムチェックのスカートを見て。
ゲストの女性から
「あら、私、あなたをバス停で見かけたわ。
そのスカートが素敵だと思って、
気になっていたのよ」と声をかけられました。
ちょっとビックリしましたが、
お洒落に関心があるだけのことはあるなあと。
大家さんは奥さんのお友達の女性達のことは
慣れてはいても、圧倒されるらしく。
こっそり私に「魔女のパーティーだよ」と
ささやいて。
次々に空になるワイングラスを満たしたり、
料理を運んだり、ホスト役に徹していました。
最後の締めはなぜか
夜11時を回った頃から深夜まで。
ピアノの伴奏に合わせて
(歌の先生がいつもゲストで
いらっしゃっていたので、
彼女が伴奏を)、
昔懐かしいミュージック・ホール・ソングを
歌うのが定番。
皆でグラスを傾けながら歌う
「Champagne Charlies(シャンパン・チャーリー)」が
今でも懐かしく思い出されます。
ベースメントフラットに住むようになってから、
夜のパーティーの音に悩まされることになるとは
その時は思ってもいませんでしたが。。。