上の写真は昨日の日曜日、義弟家族とウォーキングに出かける前に待ち合わせをしたSurreyのとある村で撮ったものです。
昨年の夏はこの村にあるパブに主人とイングリッシュエール(地ビール)を飲みに、週末のウォーキングの後、時々寄っていました。
今時珍しい、内装も古びた、オールドファッションなパブで、庭でゆったりと夏の夕方を楽しむのには最適で気に入っていました。
でも、そういう場所は流行りません。今年に入って、近くを通った時に既にこのパブは閉まっているのを見かけ、ああ、やっぱりと。
どうしてもガストロパブ(食べ物に力を入れていて、値段もそれなりにする、昔のようなアルコール主流ではない)が昨今は人気のため、昔ながらのパブは更に少なくなっています。
よく「昔ながらの」と歴史を知らない人から見たらそう見えるだけの所はたくさんありますが、ここは本当に昔ながらの所だっただけに、残念です。
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ここ最近、季節的な変化を感じることで、ちょっとノスタルジックな気分になっていました。
冬の終わりかけから春に向かい、春から夏へというのは何だかワクワクするものですが、夏至を過ぎ、ここにきて顕著に日が短くなっていくのを感じると。。。
そう、ミッドサマーが過ぎて、それまで感じていた、どこか上り調子、高揚する気分がどこかに行ってしまったような。
夏の移り変わりの明確な定義はないと思いますが、感覚としては今がハイサマー、ピークを迎えて、後はレイトサマー(晩夏)に向っている、
そんなところだと思います。
日本に住んでいた時は、梅雨の明けた今からが「夏本番」という感覚だったのが、それとは違うと感じます。
そこでここ最近の季節の変化に反応する自分をチェックしてみると「あれ?」と。
どうも季節に単に反応しているだけではなくて、「今現在、この瞬間を生きる」ということへのフォーカスが緩くなっていることに気がつきました。
それは実は「そのまま、ありのままを受け入れる」ということへの抵抗でもあるのだなあと。
季節にしても然り。自分のことにしても然り。
今朝、自分の感情をただ見つめるということをした時に「どんな感情にもいい悪いはない」ということにまだブロックがある自分に気が付いて、
ここ最近のノスタルジックな気分が解明できたような気がしました。
「現在に生きる」、「ありのままの自分を受け入れる」、「全ての季節、時間は愛おしい」
それらを大切にしながら、日常を生きると改めて思いました。