春から夏にかけて、イギリスの各地で見られるカウパセリ(cow parsley)。数週間前から、公園の中のうっそうとした林を通るとこのカウパセリの匂いに包まれます。
ピンクのクレマチス。木にツタを絡ませて伸び、緑とのコンビネーションが美しかったです。
一昨日、受けた歯の治療の後、ブログを書く元気はありましたが(その時はまだ麻酔が効いていたので)、その後、一気に予想以上の痛みと腫れで、大変でした・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。
歯科医からは治療が終わった後、何の警告も注意もなく。。。
能天気な私は、とにかく一回で治療が終了したことに安堵していたので、もうその他のことには気が回っていなかったようです。
痛みに関して何の説明も注意もなかったので、当然、痛み止め等の処方もありませんでした。
幸い、ホメオパスの友人が治療後のために処方してくれたレメディー、症状が深刻な場合という時のものを取って、何とか痛み、腫れが引いていっています。
ひどい痛みが出た時、昨日行く予定にしていたお料理教室には最早行けないかもとすごく心配したのですが、朝には腫れと痛みが残ってはいたものの前日に比べるとグンとよくなって、行く事が出来ました。
実はここ最近、この歯の治療の前から身体に色々と不快な症状が出ていました。
「身体に何か出る時は、何かのサイン」と何度も聞いてきて、自分の中で何か不調和があるはずと症状を感じないようにするのではなく、感じてみることでそのサインを読み取ろうとしたのですが。。。
どうも上手くいかず。。。でした。
歯科治療に当たって、連絡を取ったホメオパスの友人のやり取りの中、
私の「~という状態を責めないでね」「そういう状態にあるというのも何か理由があることだから」「甘んじるのも厳しくするのもバランス。簡単ではないけど見つかると思います」というメッセージを送ってくれました。
それを受け取ったことで、「自分を責めていたなあ」「こうあるべき」という理性で自分を何とかしよう、コントロールしようとしていた。これは、私の心癖の一つだと思いました。
症状に対して、よく考えてみると「そのまま受け取る」というのではなくて、「どうしてこんな痛みがあるの?」と責めていたのにも思い当たりました。
当然、そうやって責めると、身体の発するサインなんて分からないはずです。
そして「あれも、これもやっているのになぜ?」という思いもそこにあったと思います。
昨日出たお料理教室で、先生が言われた興味深い話。
こちらにお住まいのある日本人の方。色々な症状をお持ちで、「これは症状に悪いから取らない、避ける」というふうにとても食事に気をつけていらっしゃるのに、全く症状が改善せず、気落ちされていたそうです。
その方が、日本に一時帰国した時に「ああ、もういい。あれだけ気をつけてもどうにもならなかったから、今回は食べたいもの何でも食べよう」と一切、気にせず、食べたところ。。。
身体の調子が驚く程、よくなり、ご本人もびっくりされたそうです。
身体に入れるものはもちろん大事ですが、それにこだわるあまり食べることを楽しんでいなかったら?
何だか今の私に通じるものがあるような気がしました。
目の前にある症状に気をとられて、ちょっと深刻になっていたかも?
私の中の言葉で「これはやるべき」という「べき」という言葉を発していたら、要注意(;^_^A
全て、バランス。そして客観的な視点も大切だなあと思いました。
気がつかせてくれた、友人、そしてお料理の先生、ありがとうございます。