我が家のDicentra(ダイセントラ)
またどんどん花が咲いています。
すっかり我が家の庭に根を下ろして、
昨年よりも大きく育ちそうな勢いです。
ここ最近続けて、
「自分に対する思い込みをしていませんか?」ということが
書かれているものを目にしています。
ということは。。。
私についてもちょっと考えてみる必要ありのサインかな?と、
つらつらと思いを馳せてみました。
色々とありますね。。。
「~は自分はできない」
「~は自分の性に合わない」
「~は好きじゃない」
「~はやったことがないし、馴染みがないから、ちょっと。。。」
等など。
でもよ~く考えてみると
そう思っていたことが、
何かのきっかけで、
やらざるを得なくなって、
気がついたことが色々。
「な~んだ、やってみたらできた」だったり。
「昔は苦手だったけど、
気がついたら、出来るようになっていた」だったり。
「下手だと思っていたけど、
案外そうでもないかも」だったり。。。
そして、また気がついたこと。
私は自分が上手に出来ないことは
「やらない方がいい」と思っていたのかも?ということです。
そして、もしかしたら、
これは日本人にありがちなことかもしれない?とも。
こちらの学校に学生として行ってみると
すぐに気がつくことがあります。
日本人の学生、私も含めてですが、
授業中なかなか発言しないことです。
それと比べるとイギリス人、
そして他の国の人達、
どんどん発言します。
それが間違っていようが、
何であろうが、
見当違いのことであれ、
とにかく「はい」と勢いよく手を挙げて、
どんどんと。
教える側も慣れたもので、
それがどんなに的外れのことであれ、
全然気にしません。
それよりも発言することを
まずは奨励します。
最初から完璧な答えを持っている人は
そんなにいるわけではなくて、
言いながら、考え方をまとめていく。
そのプロセスを楽しむ感覚が
こちらの人にはあるように感じます。
でも。。。。私達日本人は。。。
発言する時は正解を言わなくてはいけないと
思っている傾向が強いようです。
こちらの日本人の人達と
この話題は過去何度も出たことがあり、
いつもその結論に達します。
他の国の人達と比べると
日本人はそういう文化の中、
発言する時はキチンとしたことを言う必要があるで
育ってきたのではないのか?と。
そして、私達日本人特有の
ついつい「空気を読む」習慣も
それに輪をかけてしまっているのかも。
「もしこんなことを言ったら、どう思われる?」と
言いたいことがあっても、
躊躇してしまう。
でも、それも全て実は自分の思い込みで、
単なる「自意識過剰」だったりします。
高い基準を目指すというのは
素晴らしいことですが、
どこかでそれが足を引っ張って、
せっかくのチャンスを逃しているとしたら。。。
最初は「この人の発言ちょっと。。。」という人でも、
それが回数を重ねていくと
それなりに磨きがかかってきたり。
やっていく内に上達していくんですよね。
そんなこちらで送った学生時代のことも
ちょっと思い出したりしました。
あら?学生時代の話ではなくて、
最近の話を書くつもりでしたし、
タイトルからは論点がずれてしまったかもしれませんね。
話をまた元に戻して、
私の一番の思い込みは、
自分に対する高い理想が
関係しているのかもしれないと思いました。
陥る罠は、
高いパフォーマンスが出来るようになるまで
準備をしようとすること。
それが理由で、
やる時期を逃してしまったことをここにきて、
いくつかやっているような感じがします。
自分の思い込みに気がついたら、
それを打ち破る行動に出るのは
いつでも遅くないですね。
まずはやってみること!